深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「料理ができる」とは

料理ができないってどういうこと?
とりあえず、「料理ができる」とは、各種の食材に手を加えて、単品の食材とは別のなにかを作り、それが「まずくてとても食べたくない」と思わないレベルである、という感じじゃないだろうか。
ただの蒸かしイモは料理とはいえないが、粉ふきイモなら料理。スライスしたキュウリだけなら料理じゃないけど、他の野菜あるいはドレッシングなどの調味料とあわせてサラダにすれば料理。そんな感じかな。


ところで、こんな実話を、ある身近な女性から聞いたことがある。
その女性が大学時代に交際していた彼氏の話。彼らは当時、それぞれ下宿していて一人暮らしであった。で、その女性は料理はなかなか上手く、彼氏に手料理を作ってあげることもしばしばあった。しかし、その彼氏は自炊が全然できず、もっぱら外食・中食していたそうな。
見かねた彼女は、彼氏に、一度料理にチャレンジしてみるよう、勧めてみた。とりあえず、彼女は、彼氏でも失敗なくできるメニューとして、肉じゃがのレシピを教えた。ジャガイモとニンジンと肉を一口大に切り、鍋に入れて、めんつゆの素と水を所定量入れて、煮る。
さて、しばらくして、彼氏に初料理ができたかどうか、聞いてみたらしい。答えは「作って食べてみた。けど、なんか硬くてまずい……」
詳しく話を聞いてみると、鍋をコンロへ5分くらいかけてみた、という。そりゃ5分じゃ煮えないわな。硬いはずです。で、まずかったので、そのまま大部分を鍋に残して放り出してしまったのだそうな。
そんなエピソードを経て、彼女は、彼氏に自炊を教えることを断念した、って話。


この話のポイントは、一度も料理をしたことがない彼が、どれだけ煮れば食材がやわらかくなるか知らなかったことではない。料理をしたことがなく、料理書を見たこともない人ならば、それは当たり前の話である。
問題は、硬い、まずいと思いながら、それが失敗なのかどうかよく分かっていなかった、という点だ。普通は硬くてまずくて到底食べられないものができてしまったら、これは何かおかしい、と気づき、どこがおかしいのか考えてみるだろう。自分に知識はなくても、この場合、彼女という先生がいるのだから、彼女に即刻聞いてみればいい。そうすれば、それは煮る時間が足りなかったのだから、鍋にもどしてもう少し長く煮てごらん、と言えたはずで、そうすれば彼は初めての自炊に成功できたはずなのだった。


そんな話を思い出し、「料理ができない」とはこういう人のことなんじゃないかな、と思った次第。料理自体に興味がないこともさることながら、食べることにあまり興味がないんじゃないかと。だから、まずいものができてしまっても、特にショックも受けず、そんなものかと流してしまえるのではないかと。
料理をすることへの興味よりも、食べること、食べ物への興味が、料理の腕と密接に関係するんじゃないだろうか、という仮説。