押しつけられる感謝
子どもがいると学校との関わりは必ずあるものだけど、基本、学校の方針とかやり方とかについて、あまり嫌な思いをすることはなくここまで来た。学校や先生方に恵まれたのかな。若干の合う合わないはあれど、この先生には困った!とか、この学校はいろいろと困る、とかそういうことは特になかった。
しかし、そんな中で、これだけはいつも、どうもいつも納得して飲み下せんなぁ……と思うことがある。
それは、「お父さんお母さん(や、他保護者)に感謝しましょう」というやつだ。
学校行事で、特に小学校だと、しばしばこの「保護者に感謝」パターンが出てくる。
卒業式で出てくるくらいなら、まあいい。
なんでもない授業参観で、ちょっとした発表をするときや、運動会ほど大規模でもない行事のときなどでも、いちいち「今日の日を無事に迎えることができたのはおと(以下略)」みたいな文言が訓示にでてくるわけです。
もっと典型的な行事となると、例の二分の一成人式(小学4年生)とかいうやつだったり、その前に小学校2年生くらいであるような「わたしの生まれたとき」みたいなテーマだったり。
あのね?
ごく穏当な言葉を選んで言いますが、余計なお世話です。
まだ10歳にもならん子どもに「親に感謝しろ」とか言っても、そうそうピンとくるわけない。むしろその年齢なら、のびのびと、親の庇護なんぞ空気のように当たり前に感じて、感謝するほどのことでもない、と思っててくれたほうがいい。
そうやって子ども時代を過ごして、大人になってから、自然と「あのとき親はこうだったんだな」と思い出して、感謝の気持ちがわきだしてくるようなら、それが一番いい。
親は別に子どもから感謝されるために子どもを育てているわけじゃないんだからね。
結果的に感謝されなかったとしたら、それはそういう育て方を自分がしてきたのだ、ということなので、子どものせいにせず、自分自身が受け入れるべきこと。
感謝の気持ちを他人から刷り込まれるのは、ほんとうに気持ち悪いことだ。特にまだ心のやわらかい子ども時代なら、なおさら。
学校行事に行くのは好きだったけど、あの「感謝しましょう」だけは、毎回嫌いでした。
わかってるよ、先生方だって、教育指導要領とか文科省からのなんとかとか、そういうのあるものね。そう言うように上から言われれば、そう言わざるを得ない。
(実際、私立の学校へ通うようになったら、「親に感謝」はあるけれど、小学校ほど鬱陶しく繰り返すことはなくなりました。中学になったからかな?とも思うけど、たぶん「神に感謝」に変わったのでしょう。ミッションスクールです)
「なんで?」
どうしても、現象に理屈づけたい癖がある。
ある現象があると、「それはなぜそうなったのか?」と考えて、理由をくっつけてしまおうとする。
有用ではあるけど、悪い癖だ。
世の中には、どうしてそうなったのか説明のつけられないこともたくさんあるんだってことを飲み込めるようになったのは、わりと最近になってからのこと。少なくとも40代に入ってからのこと。
科学的にものを考えようとすれば、「なんで?」は重要。「なんで?」と考えてはじめて話が始まる、くらいに重要。
けれど、別に科学的に考える必要のないこととか、科学的に考えてしまうと却って話がややこしくなってしまうことも、けっこうたくさんあるんだね。
例えばヒトの気持ちのこととか。
自分の中で、すっぱりと割り切って言葉にできないような感情がうごめくとき、「この気持ちはなんだろう?」とか「なんでこんな気持ちになったんだろう?」とか考えて、自分なりに理屈をつけてすっきりしようとしてしまう。
けれど、ああ、こういう感情は感情として、すっきりしなくてもいいんじゃないか、もやもやよく分からないままに、この気持ちどう表現したらいいんだろうね名前がつけられないね、あれとも違うしこれともちょっと違うんだよね、とくよくよしながら、まあでももやもやのまま抱えてて困ることもないし、自分さえ飲み込んでしまえるならそれでいいんじゃない?と割り切れるようになったのは、成長なんだろうなぁ、成長なのかなあ。
理屈がついて、名前がついて、ああこれは○○だね、ってなるほうが、なんとなく次の段階に行けるような気がする。そのほうが自分は楽になれる。
けど、自分が楽になろうとさえ思わなければ、別にそのままなんの理屈もつけないままでいいんだよね。
ネットの中で拡がっていく人、そうでない人
ネットの中で、世界が拡がっていく人と、そうでない人がいるらしい。
2人の娘は、生まれたときからインターネットがあり、物心ついたころにはSNSがある世代だ。中学からPCをかなり自由に使える環境を整えてやり、中学のころからスマホは持っていないがPCならネットを駆け回れるようにしてあった。
当然といえば当然だろうか、動画サイトを見たり、SNSを使い始めたりするようになる。スマホ持ちではないから、SNSといってもtwitterや、絵を描くのが好きなところからpixivあたりを使っているようだ。
(もちろん登録は親チェックの元、いつでも親が後ろからモニタを覗ける環境で使っている。それが利用の条件である)
というふうに、2人の娘にほぼ同等の環境を用意したのだが、この2人、だんだんとネットへの参加の方向性が変わってきた。
上の娘は、twitter上でいろいろなアカウントをフォローはしているが、基本的には「観客」である。たがいにやりとりするのは、ほぼほぼ、顔を知っていて日常的に接している学校の友達らのみ。知らない人への警戒心は強い。
一方、下の娘は、学校の友達らとはネット上ではあまり交流がなく、ネット上でつながっているのは、たまたまネット上でみつけた、どこの誰とも知らない、同趣味のアカウントたちだ。その人たちとネット上でのみやりとりをし、楽しんでいる。もちろん自分の個人情報も出していない。
姉妹といえど、かように対照的だ。
上の娘のネットの使い方は、LINEなどにみられるような、限られた狭い範囲の人間関係を、制限をかけたまま、SNSへも持ち込む、というような使い方。
下の娘の使い方は、人間関係をどんどんと押し広げていくような、自分の行動範囲、世界が拡散していくような使い方。
自分がかつてインターネット前夜のネット世界と出会い、ネットでなければ出会うこともなかったであろう人々と知り合い、いろいろな世界を知っていったとき、あれは独特の感覚だった。自分が社会の中でどんどんふくらんで、みるみる大きくなって、いや大きくなるのではなくて「自分」の範囲が拡がってゆく、「自分」の体積というかアトモスフィアが大きく広くなってゆく感覚。
これこそがネットの醍醐味、ネットならでは、と思っていたんだが、上の娘の様子、あるいは昨今のSNSを使っている人たちを見ると、案外そうでもないのかもな、と思うようになった。
ネットというツールあるいは社会の中で、それぞれの人が望むあり方、心地よくいられる形というのはそれぞれに異なる。最初から小さくかたまり、そのまま安定して小さいまま平穏に過ごすのが合っている人もいるだろう。拡がらないまま、小さく安定して在る人がネット上で増えていったのは、そういう人たち向けの場がネット上に用意された、ということもあるだろうし、それによって、以前の、拡散することが当たり前だったネットであれば怖くて参加できなかった人たちも参加しつづけることができるようになった、ということでもあるかもしれない。
自分の昔を思い出しながら、そんなことを考える。
年賀状2017
今日も昔の自分に会いに行っていた。
自分の人生がごくゆっくりと、ゆるやかに終息へと向かってゆく道が見えてくる。
30代後半、まだまだこれから紆余曲折あるはずだけれど、それも自分のことよりも、子どもや夫のことであり、自分自身の人生はそれに連動するだけ。
こんなこと書いてた。今から約10年前の年末。
このさいだからはっきり言ってしまおう。
そんなことは全くなかった。
ゆるやかに下がっていくように見えた坂道は、やがて平坦になり、ゆるやかに上り坂になり、そして2年ほど前からさらに傾斜が強くなり、今年になると、突然に急激に上りだした。今も慣れない坂をえっちらおっちらと日々上り続けている。アラフィフにもなって。
ほんとうに、人生とは何が起こるか全くわからない。わからないからとにかく先に歩め。期待せず、絶望せず、勝手に諦めず、ただ歩め。
ただし年賀状の枚数は順調に減った。
先方から来なくなったものもあるし、身内などは高齢になり、もう年賀状をやめましょう、という取り決めになったものもある。歳は確かにとっている。
が、それ以上に大きいのは、友達うちはSNSの挨拶で済んでしまうようになったことかも。10年前と比べて、デジタルデバイスで繋がることができる人は格段に増えた。社会は確かに変わっている。
深く考えないで捨てるように書く、また
なんということもないけれど、ここ最近、たびたび過去の自分に会いにいくはめになった。
過去の自分は若い。あれやら、これやら、芋づる式に思い出すと、ああもう、なんでそんなに未熟だったんだよ私、でも若いんだから未熟で仕方ないよね、などといたたまれなくなる。
いっそ、昔なつかしい場所や人を訪ねる旅をするように、この際自分からも過去の自分に会いに行ってみるか、と昔のはてなダイアリーを読み返した。
で、昔の私に感謝した。
あのとき、自分の駄文を書き散らかしておいてくれてありがとう。
将来の自分がそれを読んで何かを感じるだろうか、と考えて書いたことはなかったと思うけれど。
それで、また、今、書き捨ててみようか、という気になった。
バカみたいな文章でも、また、10年後の私を喜ばせて、救ってくれるかもしれないじゃないか。だからね。
それより過去のブログのURLもまとめて。
栗本薫さんがなくなった
栗本薫=中島梓さんがなくなった。
中学生のころ、すごくハマって読んだ作家さんのひとり。当時どれほどどっぷりずっぽりとハマったかは今更恥ずかしいので書かないけれど(笑)
まあ、元腐女子(当時はそんな言葉はなかったけどね、昭和だし)ということは前にも書いたので、そのへんでも想像がつくかと思うが。
近年はもう全然読まなかったけど……あれは思春期の入り口に読んでこそ面白いものだった。近年の作品自体もいろいろ言われているけれど、私もまあそういう大勢の意見に近い感想だったし。
ブックマークにも書いたけど、寂しいとか悲しいとかは感じない。ただ、なにかが終わったな、と、そんな感覚。グイン・サーガは未完結で終わった、ということも、残念というよりは、ああ、終わったんだ、と。完結はしなかったけど、終わりを迎えた。それ以外にも長らく続きが出ないことで完結しなかった話もあるし。
グイン・サーガは現在未刊行分が数冊分ストックがあるらしいので、きっと、なにやらフェアとともに刊行されるんだろうな。
今はただ、お疲れさまでした、安らかに眠ってください、と思う。ガンの闘病は、実際のところ、そうとう苦しくきつかっただろうから。
ところで、話ががらりと変わって。
栗本さんの訃報がいろいろな報道系サイトから出ていて、はてなブックマークのトップにもずらりと並んでいるんだが、そのカテゴリ分けがなぜかバラバラ。
社会 → MSN産経ニュース
スポーツ・芸能・音楽 → asahi.com、YOMIURI ONLINE、ITmediaニュース
アニメ・ゲーム → Yahoo!ニュース
てな感じ。訃報記事だから内容的に各社大きくは異ならないんだが……。なんでこうなるんだろう。面白いような不思議なような。