深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

自分が中年女になって気がついた

子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。
私は本を読むのが大好きだったし、父はよく本を読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理のレシピ本くらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。
私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは本読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。
また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。
母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、「疲れた」「頭が痛い」と言っては休み、家族でハイキングに行けば「私足痛いから、先行って」と泣き言を言い、くたびれたと言って休憩するのだった。
そのころ、私から見て、先取の意識に富み、なんにでも果敢に挑戦するタイプの父と比べて、なんと母は保守的で、小さな人なのだろう、と思っていた。


大人になって、いろいろなことに気がついた。母は、実は、できる人だったのではないか? と。
母から聞いた話で、「高校のころ、自分のクラスは女の子が5人しかいなくて、男の子ばっかりだった」というのがあった。そのときは、へぇ、としか思わなかったが、今から思えば、母はおそらく、数学や理科などの選択科目の関係で、そういうクラスに入ったのではないだろうか。母の高校時代といえば、昭和30年代前半。住んでいた地域も都市部ではなく、漁港のある田舎町であった。その当時、女子では高校進学しない子も多かっただろう。
母はその後、短大の食物科に入った。地元ではなく、遠い親戚の家に下宿しつつ通い、栄養士と教職の資格を取得して卒業した。それを生かすことは全くなかったが、母は、教職をとるためには余分に教職課程の授業をとらなければならず、周囲の友達はみなとらずに遊んでいたので、やめようかと思ったけど結局とった、と言っていたことがあった。
母は、難しい言い回しは知らなくても、数字や理科系の話には全く抵抗がなかった。数理は父が得意だったから母の出番はなかったが、今から思うと、母は実は中身は理系女子だったのでは。そう考えると、いろいろなことが辻褄があう。
母は読書はしなかったけど、手芸工芸からスポーツに至るまで、多種のお稽古ごとをやっていた。それぞれに、そこそこの作品を作っていた。ハイキングでは疲れるらしいが、軟式テニスは大好きだった。結婚前にやっていたものを含め、実際にやったお稽古ごとの種類は十を下らない。
教える要点をまとめるのも上手だった。教えるといっても、家の中で私や妹に教えるだけだが、料理の仕方のポイントや家事生活上での要点など、今思えば、短い時間で上手に説明してくれた。おかげで、大して手伝いもしなかった私でも、いつの間にやらずいぶんといろいろなことを知っていた。
実は、母っていろいろなことに果敢に挑戦する、知的で好奇心の強い人だったのか?
そう気づいたのは、本当に、成人して随分たってからなのだった。


さて、私も40歳、胸張って中年女と名乗れる域である。
読書の大好きなはずの私も、最近は本を読むのがつらくなってきた。もともと強い近視なので老眼の影響はまださほどないだろうが、文章を読んでもなかなか頭に入らない。集中して読めば入るが、そうすると今度は途中であれやこれや中断されるのがつらい。特に、物語にはあまり興味がなくなった。昔ならわくわくしながら読んだ物語が、あーそうですか、はいはいそういう展開ね、という感覚になってきた。実用書や軽いエッセイなどばかりになった。
ちょっと気張って出かけると、すぐに体のあちこちが痛くなるようになった。緊張しているうちはいいのだが、家に帰るとどっと疲れが出る。ああ、この様子、昔の母にそっくりだ。旅行やレジャーに行っている間はとっても元気なのだけど、家についた途端、「はぁーー疲れたっ」とがっくりする。
年取るってこういうことなのか、若いころはできていたこと、若いころはどんどんやりたいと思っていたことが、しょぼんと萎んできてしまう。
そして、あのころの母を思い出すのだ。母もそうだったのかな。若いころは才気煥発、夢いっぱいだったが、30代後半〜40代、50代となると、体も頭も萎んできてしまって、いろいろつらかったのかな。更年期障害もあったしな。


さて、母は。
今は60代、2人の子も独立し、今や悠々綽々、あのころよりも元気。最初は「一人で海外旅行なんて行けないわ……誰か一緒に行って」と家族にぼやいてた人が、自分から友達を誘ってツアーへ行ったり。「病気かしら、体調が悪いの」と言いつつ、体操教室に通って元気に体操。飲めるときは酒を楽しみ、居酒屋にも出かける。ちなみに父は全く飲めない。
どうやら、これが本当の母の姿らしい。私たちが若いころ見ていたのは、「母親はこうあるべし」という猫をかぶった母だったのだ。いや、正確には、何か、精神的にたがをはめられた状態だったのだろう。私たちという。
そして、私は。
今は萎んでいても、また膨らめる機会もあるもんだな、じゃあ焦ることもないか、と、日々を過ごしている。
娘たちが自慢げに「これ分かる?」「ねー、これすごいでしょ」と言ってくると、「あーすごいね、ママは分からないなぁ」と返す。
これだ、これだったんだよ! 親って本当に分からないわけじゃなくても、「分からない」って言うんだね!