深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

幼児の「女の子らしくしたい」

最近つらつらと考えているのは、人はいつから男/女になって、いつから男/女でなくなるのか、ということ。
もちろん、基本的には受精した瞬間からオスかメスのどちらかに決まっていて、この世に生まれた瞬間からオス=男、メス=女ということになって、生きていく。ヒトは性染色体の異常がない限り(表現形と一致しない場合はあるが)オスかメスのどちらかで、性染色体の異常がある場合でも、表現形としてはオスかメスかどちらかになる。
一方では、心理的に男でも女でもない時期というのもある。小さな赤ん坊は、自分が男であるか女であるか分からない(それ以前に人であることもまだ分からないのだが)。自分の経験や観察からは、だいたい3歳くらいで男と女には違いがあることに気づき、自分はそのどちらであるか自分なりに規定する、という感じのようだ。2歳ではまだそのあたりの区別はあまりついていない。しかし、この3歳の時点ではまだ単なる区別でしかなく、セクシャルな意味合いはない。自分が女の子だからといって男の子の前で裸でいるのは恥ずかしいことなのだとは、まだ思わない。うちの娘たちは揃って3歳で公衆浴場の男風呂に入ることを拒否し始めたが、男風呂に入るのが恥ずかしいからではなく、自分は女なのになんで女風呂じゃないんだ、という不一致に不満があるだけであった。
さらに、本人の思いとは別に、社会的に男であるか女であるか、という視点が入る。社会的視線は、必ずしもいわゆる「男らしさ」「女らしさ」といった圧力を意味するわけではない。互いにそうとは意識せず、幼児のうちから男の子同士、女の子同士で仲良くなり、同じ遊びをしたり、同じテレビ番組の話をしたりする。幼児期にはまだ「男/女はこうあるべき」という意識は強くもっていない。あるとすれば、それは大人から「こうあるべき」と言われたから、という程度の話だ。


3歳半の娘が、最近やたらとスカートをはきたがる。フリルなどのついたかわいい半ズボンを出してやっても、はくのを拒否して自分でたんすからスカートを引っ張りだしてくる。彼女の中では「私は女の子→スカートをはく」という図式ができているのだろう。
私は「女の子はスカートをはくもんだよ」などと言ったことはないし、姉も、スカートもはくしズボンもはく。それでも彼女はスカートにこだわる。
また、花柄やハート柄、ピンク色といったいかにも女の子っぽい柄にこだわりを見せはじめ、比較的両性とも着られるようなシンプルな柄のもの(数字プリントなど)を頑として着ない。
内心を推測するに、たぶん彼女は自分が女であることを認識しはじめたばかりで、そのアイデンティティをより強化するために、彼女自身が思うところの「女の子らしい格好」を積極的にしたい、ということなのじゃないだろうか、と思う。しかもその「女の子らしさ」は誰かに押しつけられたわけではなく、彼女が周囲を観察して、こういうのが「女の子らしい」ことなんだ、と認識した結果である。
幼児期の「女の子らしくしたい」という適応反応は、ジェンダー以前の、個人のアイデンティティの強化としての「女の子らしくしたい」なんだろうなあ、と思う。
上の娘にもそういう面はあったが、ここまで強くはなかったので、これも個人差ということだろうか。おそらく幼児の発達段階としては珍しくはないことだろう。


身近に幼児期の男の子がいないので、男の子でもこんな感じなのかどうかはよく分からない。