深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

受容したい

自分が何をしたくていろいろなブログを読むのか、少しわかったような気がする。
いろいろな考えやいろいろな視点やいろいろな話題のいろいろなブログに当たって、それをまずは受容してみたいのだ。
まず読んだ後、最初に「うん」と言いたい。中には、あとから読み直したりじっくり考え直したりしてみると、やはりこれは違う、自分はこうは思わない、という記事も当然ある。しかし、読んだ最初から「だめ!」とは言いたくない。「そういうのもわかるような気はする、するんだけどね……」くらいから。
そのように書く人がいるからには、そのように思う人がいるからには、何かそのように考えた、書いた事情というか、心理というか、何かがあるはずだ。まずはその存在そのものを受け入れたい。そういう人が存在するんだ、ということを受容したい。それは違う、納得できない、反対だ、と思うのは、そのあとで全然遅くない。
こういうことができるのは、ネットならではだ。実際の生活の中だと、まず自分を、自分の周りの者を守るため、そんなことは言っていられないことも多々ある。内心では多様性を認めたいけれど、それを認めることで自分や自分の周囲の者がとんでもない不利益を被る可能性がある。そう思うと、無闇にいろいろなことを許容できない。
その点、ネットでは随分と楽だ。画面の向こうの人に「そうだね、そういう人もいるんだろうね」と言っても自分と直接的に関わることはまずない。
そりゃあ、中にはどうしても受容できないこともある。自分はどこまで他者を認められるのだろうか、他者を受容できるのだろうか。そこもまた興味のあるところ。