深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

夏休みの宿題を初日にやろうとする

年少の下の娘。初めて「なつやすみのカレンダー」なる宿題をもらってきた。幼稚園児向きだから、特に難しいお勉強系のものではなく、毎日お天気シールを貼ったり、2週間ずつ簡単な生活目標を書いたりするようなもの。上の娘でもう2年やったから、だいたいの内容と要領はわかっている。
さて、下の娘。もらったのが嬉しいらしく、今日、ぺらぺらめくって中身を見ていた。最後のページに「なつのおもいで」なるページを見つけた。夏休みの思い出になることを描いたり、写真を貼ったりしてね、というページだ。
「ママー、これ、なつのおもいでってかいてあるー」と持ってきたので、「そうだね、これはね、夏のいちばん最後に、いろいろやったことを描くところだよ」と教えてやった。本人は納得したもようで、別の部屋へ行った。
数分後、突然「なにやってるのー!」と夫の叫び声。続いて娘のひぇーーーーんという泣き声が。
何事かと思ったら、夫が苦笑しながら「なつのおもいで、描いてた」。「えーっ、さっき説明してやったのに」と言ったら、「鉛筆で描いてたから大丈夫」と。本人、理解できなくて描いてしまったのではなく、分かっていて描いたようだ。そうでなければクレヨンやペン使うから。そういえばあの泣き声は、やっちゃいけないと分かっているのにどうしてもやりたくてやっちゃったことを見つかった時の泣き方だ。腹黒いやっちゃ。
しかし、どうしても今、なつのおもいでを描かなければならない衝動はなんなのか。周囲に落書き帳の白い紙がたっぷり散乱してるのに。