深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「共感」と「同感」

「共感」という言葉は、意外と難しい。
「同感」と似ているようだが、全く異なる。「同感」はむしろ「同意」に近い。ある意見があって、それに対して「私も同じように思います」という意味。ほぼ賛意ととってよいだろう。
「共感」はもっと感覚的だ。なにかの意見に対して賛成・反対という意で使う言葉ではない。意見に対して使うならば、その意見を発した基である感情や感覚に対して使う言葉だ。
ここが難しいところだ。「共感」は必ずしも賛意ではない。あえて言うなら、「私はあなたがそのように感じた感情・感覚について理解します(そのまま受け入れます)」という意味だろうか。共感を示す、というのは、別々の立場にありながら、相手の感じたことに対してもそのまま受容する、という態度ではないかと思う。というか、自分はそう使う。
ただ、一般的にも「共感」がそのように使われているかどうかはよく分からない。あまり普通の話し言葉の中では「あー、そういうの共感するわー」といった言い方はしないし、しているのを聞いたこともほとんどない。話し言葉なら「あー、そういうのわかるわー」かなあ。


話はずれるが、先日、NHKのことばおじさんの番組で、「同じ」と「一緒」について取り上げていた。
もともと「一緒」には「同じ」という意味はなかった。しかし、だんだんと用法が変化し、「あなたの考えと同じです」と同様の意味で「あなたの考えと一緒です」という言い方が一般的になった。という話。
「一緒」は、もともとは「一緒にいる」などのように、複数のものを一つにまとめる、という意味。「共感」の「共」と共通する。「同じ」のように渾然一体となって均質化しているのではなく、ひとつひとつは別々の異なる存在で、差異もあるのだけど、ひとまとまりになっている、という違い。