深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

マクロとミクロと「親学」

物事をマクロで考えると、広い範囲のことを考えられるけれど、細部には目が行き届かなくなり、結局あちこちにドット抜けのように、その考えを適用できない部分がでてくる。
物事をミクロで考えると、個々の事例を丁寧に分析して考えることができる分、よりすっきりと当てはまる場合が多くなるけれど、その事例にしか適用できず、汎用性や応用性に欠ける。


「親学」というのは結局マクロなんだな。最初からミクロ、つまり自分自身の子育てについて自分で考えられる人にとっては、あまり有用でない。しかし、自分からミクロで考えられない人にとっては、相応に有用性がある。たぶん。