深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

ブログを読んでいて楽しいとき

なんだか、ブログを読んでいるとすごく楽しいんだ。
共感できるブログもいいし好きなんだけれど、全く視点の重なり合うことのないタイプの人のブログを読んでいると、とにかく楽しい。刺激になる。興味をそそられる。話をしてみたくなる。
例えば、私の場合は、極めて男性的な視点から語られるブログなどがそう。ミソジニー的なものはむしろ逆の立場*1でなんとなく分かってしまう部分があったりするから、それほど刺激にならない。男性の立場・視点から男女論を書いているようなものに、強く興味をそそられる。「え、男からみるとそんなふうに見えるの? じゃあこういう場合はどうなの? もっと教えて教えて」と言いたくなってしまう。
それから、男女関係なく、なにかと自分と異質な感じの人のブログは面白い。言葉の感覚や、コミュニケーションの感覚など、思わず「えーっ、なんでそう感じるの?」といい意味で訊いてみたくなるようなブログ。
そういうとき、実は根掘り葉掘りインタビューしてみたくなってしまうんだが、さすがにそれは自重している。ブックマークコメントくらいで誤魔化す。


自分では所詮自分一人分の人生しか生きられなくて、自分の感覚でしかものを感じられない。
ロジカルなことは、わざとさまざまなルートでの思考を試みることで、いろいろな考え方、思想、論理を構築し理解することが可能だ。
しかし、感じることは、自分の身体、五感を通してしか感じることができない。直接感じることができないぶん、他人の語りを通して擬似的にでも体験してみたい、という思いがある。
本当は、いろいろなものになってみたい。男だったり女だったり、子どもだったり大人だったり老人だったり、動物だったり植物だったり、機械だったり鉱物だったり。自然物や人工物や。形のないものや想像上の存在や。
でも、自分は自分にしかなれないんだなあ。自分が変化することはできるけど、変化したものも結局は自分でしかないんだなあ。自分という枠からはみ出ることは不可能なんだな。


ブログを読んでいると、ほんのちょっとだけ、自分じゃないものになっている瞬間があるような気がするんだ。
次の瞬間、「あ、それはなんか違う」「えー、どうして?」なんて自分に戻ってしまっているんだけれど。

*1:自分は若いころは男性嫌悪と男性主導社会嫌悪の塊であったので。