深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

万能感から挫折への気づき

子どもは万能感というか全能感というようなものをもっている、ということはしばしば耳にする。もうちょっと平たくいうと、子どもは「自分はなんでもできるはずだ」と思っている、という感じだろうか。
それが、大人になると、「自分にはできないこともある」と解ってくる。
この間の時間経過のどこかに「あ、自分はなんでもできるってわけじゃないんだ」という気づき、言い換えれば最初の挫折があるはずなのだが、それはどのへんなのだろう。


5歳の娘を見ていると、まだまだ彼女のもとにはその気づきは訪れていないようだ。
気づくもなにも、まだ身体的にも精神的にも右肩上がりの成長の途中にあり、今できないことでも将来できるようになるという期待(というか、むしろ、おそらくこれからできるようになることが非常に多い)があるから、絶望的な挫折を経験するにはまだ早すぎる。
何歳でそのことに気づくのだろうか。もちろん、単純な年齢では測れないものだとは思うけれど。


年齢的には十分成人になっていても、そして希望や夢がどう見ても実現からほど遠くても「まだ自分はこれからだ」「頑張ればできないはずはない」と自らを信じる人もいる。
それが全て間違っているわけでもなくて、「自分はなんにもできない」のではなくて「自分にできないこともある」だけなのだから、何が自分にできないことで、何はできることなのか、その判断結果に拠ることになる。


人間は、どんな壁に当たったときに「あ、自分はなんでもできるわけじゃないんだ」と気づくのだろう。
「自分はなんでもできるわけじゃないんだ」と気づいたあと、何を基準にして「できないこと」と「できるかもしれないこと」を判断するのだろう。


自分は、どこでそれを判断しているんだろう。