深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

子ども連れは弱者か

昨日の記事を読んだり書いたりしながらふと思ったこと。元の話からはかなり離れる。


子どもは、いわゆる社会的弱者だ。これは異論はないだろう。
妊婦も、社会的弱者。身体に不自由のある人や病気の人が弱者であることを思えば、やはり弱者だろう。
では、子ども連れの大人は弱者だろうか。


いろいろと制限を受けるから、弱者という面もあるような気はしないでもない。
例えば、シングルマザーは社会的弱者の範疇にあるケースが多いだろう。子どもがいるゆえに仕事や収入、行動の制限を受けるために、困窮することがしばしばある。
しかし、もし同じ人に子どもがなかったら、つまりただの独身女性であったなら、必ずしも社会的弱者とは思われないだろう。その人の弱者たる所以は、子どもが一緒にいることである。高齢者や子どもや障害者が弱者であるのは本人に内在する条件や属性からくるものだが、シングルマザーの場合は、必ずしも本人に弱者たる理由が内在しているとは限らない。子どもという自分の外にある条件によってそうなっている。


「子連れの保護者」を弱者とみるかどうかは、かなり微妙な線である。
連れられている子どもは弱者である。保護者はその子どもの存在ゆえに弱者とみなされるが、子どもと保護者を分離したら、そこには弱者である子どもと弱者とはいえない大人が現れる。
だから、どうしても、「社会は子ども連れに冷たいよね!」という意見にはなにかしっくりこない感を感じるのだろう。子どもに冷たい、ならまだわかるし、弱者なのだからいろいろな面で心に留めておくほうがいいだろうな、と思うけれど。
子ども連れの大人は、子どものために制限を受けている面もあり、また、弱者である子どもを守りコントロールする強者という面も同時にもっている。その強者たる大人に対して「保護者なんだからしっかりしなさい」「あんたが子どもをちゃんとしないでどうするんだ」という厳しい眼差しを送る者もいる。冷たいのではない、彼らから見れば、子どもは弱者であっても、保護者は弱者ではないからだ。


ただ、「子ども連れ」というひとまとまりで見れば、やはり弱者といっていいだろう。子どもが弱者であるのと同様の弱者たる理由を内在している。


深く考えなかったので、話のどこかに矛盾があるような気もするが、書いておく。
とりあえず、結論はなにも出ていない。