深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「KY」と叫ぶのはどういうとき?

「おまえKYだな」と言う言葉は、そのままとれば「お前、場の空気を読んでいないな」ということだが、さらに内容を補足すると、「お前、俺が『場の空気』と思っているものを感じ取っていないな」ということになる。
このとき、発言者(上記の台詞でいう“俺”)は、本人が空気を作ったのか、それとも“俺”以外のもの(他者を含む)が空気を作ったのかによって、発言意図が異なる。
もし“俺”本人が意図的に空気を作ったのだとすると、「おまえKYだな」は「俺がおまえにこうしてほしい、ということを理解してないな」もしくは「受諾してないな」という意味になる。さらに、「おまえKYだな」を心で思うだけでなく口に出して言う場合、上記を相手に伝えることによって、「俺はおまえにこうしてほしいんだよ、わかった?」ということを伝えることになる。
しかし、これはよく考えると、最初から「KY」なんて言葉を使わなくても、もっと直接的な言葉で意図を伝えればすむ話のようにも思う。
一方、他者が空気を作っていた場合、「おまえ、あいつがこうしてほしいという雰囲気作ってるのに、気がついてないだろ」という意味になる。“俺”が空気を作った場合よりはゆるいけれど、別の意味合いが生まれる。すなわち、“あいつ”という第三者の意図を伝える仲介役になる、ということだ。
これは結構デリケートな状況で、“あいつ”が明確に意図を伝えていない、あるいは伝えることにためらいがある状況で、“あいつ”から見れば第三者である“俺”が推測に基づいて代弁している、ということになる。
してみると、「KY」が便利な表現として使われるのは、案外発言者が当事者でない場合なのかなあ。