深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

坂と階段と

なんとなく、成長とは、長いなだらかな坂を上るようなものだと思っていたが、どうもそうではなくて、階段を上るような段階的なものであるらしい。
らしい、というのは、自分がそう感じた、というだけのことだが。
確かになだらかに上がっていて、時には平らになったり、場合によっては下ったりもしているのだけど、あるところでドンと段差を上がる。段差だから、そこを越えられないこともあるのだが、うまく越えられると、あーっ成長したなぁ、と実感がある。
自分で自分を見ていても、どこが坂でどこが段差なのかよく分からないのだが、外から見ていると意外とよく見える。傍目八目。
段差を上がると、そこから元の段には下がらない。1つ1つの段の中での上り下りはあるけれど、それでも元の段と同じ高さまでは下がらない。
それなら段差をガンガンガンガンとどんどん上っていけば早いじゃないか、という気もするが、それはそれで疲れるのである。体力がある人や要領いい上り方をする人なら他の人より速く上って行けるけれど、途中で息切れするかもしれないし、あんまり速く上りすぎて心臓がイカれちゃうこともあるかもしれないので、そう急いで上る必要もないのだ。自分のペースで上ればよし。
ある程度の年齢になってしまうと、なかなか段差そのものにお目にかかれなくなるのだが、子どもを見ていると、あっお前今、1段上ったな! と端から見て分かる場面をときに目撃するのである。
自分もそうやって上ってきたんだろうなぁ、と思うけれど、でもやっぱり、自分で過去を振り返っても、どこが段だったのか、よく分からないのである。だから、長いなだらかな坂なのかな、と思っていたんだな。