深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

違う人間≠敵対する人間

私とあなたは違う人間。あなたと私は違う人間。私と他人は違う人間。
これは当たり前といえば当たり前なのだけど、これを安定して受け入れるためには、それなりの基盤が必要なんだろうと思う。
言うなれば、違う人間=敵対する人間、ではない、という認識。
この認識は双方向ある。一方向は、自分と異なる考え方、感じ方をする人に対して、それは違ってる、よくない、だめだ、と攻撃する必要は必ずしもない、ということ。*1
もう一方向はその反対。自分と異なる考えや感じ方をもつ人はすべて、常に、自分を攻撃してくるというわけではない、ということ。
自分が何か意見を述べたとき、「自分はそうは思わない。かくかくしかじかと思う」と言われたとする。「ああ、そうか、あなたはそう思うんですね。私と違いますね」と返す。
なんらかの結論を出さねばならない議論のように意見のすり合わせを行う必要がない場合は、これで済んでしまうはずなのだが、意外と済まない、というか済んでない。
コミュニケーションという意味では、これで済まない方が面白いので、こう簡単に済んでしまうほうがいい、という話でもない。簡単な例では「私、ししとう好きー」「えっ、あんなん好きなの? 私嫌いだよ苦いし」「えーっ、あの苦みがいいんじゃない」「いやいや、苦いもの好きなんて納得できん」「そんなこと言いながらコーヒー飲んでるのはどこの誰だよ」みたいな。


これは「それなりの基盤」を構成する一部にすぎないけど、そういう部分はあるにはあるような気がするな、というメモ。

*1:場合によっては攻撃する強い動機がある時もある。法や倫理に関わる話や、攻撃する側にとってクリティカルな、下手をすると精神的に、あるいはその他的に存在を全否定されてしまうような内容のときなどには、そういう傾向があると個人的には思う。