深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「こつこつやる」と「努力する」

例えば、自分の子に「努力しなさい」なんて言う気には全くならない。
努力する、というのは、なにかを遂行するために力を尽くす、という意味のことだ。遂行したいなにか、つまりなんらかの目標ができれば、本人が自然に努力したくなるだろうと思う。逆に、親といえど他人が「努力しなさい」と言ったとて、本人がその気にならない限り、努力などしない。努力しているように見えるふりはするかもしれないが。


例えば、自分の子に「こつこつやりなさい」と言う気にはならない。
しかし、「こつこつやることを覚えなさい」あるいは「地道にこつこつやることもできるようにしておきなさい」とは言いたい。
そのためには、こつこつと努力するのではなく、こつこつと楽しみなさい、と言いたい。
地道にこつこつと積み上げていくことが必要不可欠な分野もある以上、できるようにしておくこと、こつこつとやる技術を身につけておくことは、マイナスになることはない。


こつこつとやる、ということは、結果を急がないということだ。短時間では結果が出ないこと、一見前に進んでいるように見えないことでも、こらえてやらねば結果につながらないこともある。
若いうちは、こういった変化の少ない事柄を体験することができない。当たり前だが、10歳の子どもは20年の歳月の流れを想像することはできても体験することはできない。一方、40歳になれば、自分が10歳になるやならずやの頃にしたことが、今現在の自分とつながっていることを体験から確信できる。


結果を急ぐのではなく、過程を楽しみなさい、と。
こつこつやれば必ず成功するよ、というのは真実ではないとしても、こつこつやること自体がそれはそれで楽しくていいものだよ、とは言える。
そのくらいに思っていないと、「ピアノの練習は毎日しなさい!」だとか「毎日プリント2枚必ずやりなさいよ」だとか言っていられない。ああ。


毎日こつこつやらなくても一足飛びに子どもが成長して大人になって立派に一人立ちしました、なんてふうになるんなら、苦労がなくていいわよね。と思ったり思わなかったり。