深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

怒りが瞬間沸騰するとき

私が12歳の時の話だ。
当時、中学受験をめざして進学塾に通っていた。中学受験といっても30年近く前の地方のこと、今ほど厳しい状況でもなく、塾内で殺気だつこともなく、みな和気あいあいと暮らしていた。比較的勉強のできる子たちといっても、小学6年生。女子はもう6年ともなるとかなり大人びていて、些細な諍いをすることなどまずなかったが、男子は小学生らしくふざけあうことも多かった。そんな中、私は塾の中でトップの成績だったので、男子からも一目置かれているようなところがあった。
ある日の授業の終わりごろ、何かの話があったようで、いつも帰りに迎えにくる父が、塾内に入ってきた。父は教室の隣の応接室で先生となにか話していた。
それが私の父であることは、互いに合図を送ったので、隣の教室にいた児童たちにもすぐにわかった。「あれ、azumyのお父さんか」という感じで部屋がざわついた。次いで、男子の一部が、「azumyの父さんって禿げてるんだなー」と言い出した。続いて数人が同じようなことを言った。やや揶揄するような、からかうような口調で。
確かに父はかなり見事な禿頭であった。若年性禿頭である。私の物心ついたころからすでにそうであった。まだ父は若くて今の私とほとんど同年齢だったけれど、別に禿を隠そうともせず、恥ずかしがりもせず、堂々としていた。そんな父が私は好きだった。


後から思えば、大した意味はなかったのだろう。ただ、成績がよくていつも大人びた女子が、父親の前では一瞬気をゆるめた女の子の顔になるし、また自分たちの親世代でそんな見事な禿頭であることが珍しく驚いて、それで、思わずからかうような口調になってしまっただけかもしれない。
真実はともかく、私はその瞬間、カッとなった。頭が瞬間沸騰した。全く冷静でなくなった。
父の話が終わり、応接室から呼ばれた。部屋を出て行く瞬間、通り際にあった黒板消しを男子らめがけて一直線に投げつけた。ビュッと勢いをつけてそれは飛んで行った。
黒板消しは誰にも当たらず、壁か机かどこかにガツンと嫌な音を立てて当たって、落ちた。
そのまま私は部屋をあとにした。部屋の中は妙に静まり返っていた。一言だけ「こぇぇ」と小声が聞こえたような気がした。


それが、小学校中学年以降*1、私が唯一やった暴力沙汰である。
男子は特別私に謝りはしなかった。しかし「あいつは怒らせると怖い」という認識はもたれたようだった。私のほうはといえば、隣の先生にもその音は聞こえていたはずだが、結局後日にも叱られなかった。
黒板消しを投げつけた時点で、私は満足していた。怒りは消えていた。私は父を揶揄されたら許さないんだ、と彼らにはっきりアピールできたことが分かったから。


自分自身はいくら馬鹿にされても罵倒されても揶揄されてもある程度スルーできるし、ショックを受けたり落ち込んだりすることはあっても瞬間的に怒りを覚えることはあまりない。
しかし、これが家族となると、話が全く別になる。精神的ウィークポイントともいえる。「お前のかあちゃんデベソ」問題というか。中国語だともっと直接的な罵倒表現があるらしいが。とにかく、自分に落ち着けと言う暇もなく、瞬間的に猛烈な怒りが頂点に達する。一旦そこに達してしまうと、時間をかける以外、冷静に戻るのは非常に難しい。
これは私個人だけの話ではなく、家族が精神的ウィークポイントになっているケースはかなり多い。典型的な例のひとつは、嫁姑問題だ。嫁と姑が対立した場合、迂闊に嫁側が姑を批判すると、夫が烈火のごとく怒りだす、という場合がある。嫁と姑どちらが正しいのか、という問題ではない。正しかろうと正しくなかろうと、母親(姑)を批判された場合、批判した相手が一瞬のうちに敵になる。それが自分の妻であっても。これは第三者がみると「自分の妻を大切にしないひどい奴。妻の味方になれるのは夫だけだろう」ということになるが、夫本人にとっては非常にコントロールの難しい件でもある。


こういうことで瞬間沸騰してしまうタイプの人間にとって、最初から沸騰しない、という手段はとるのはほぼ不可能だと思う。自分も含めて。
だから、怒ればいいと思う。というより、怒るしかない。怒ったあとどうするか、どうなるか。それは時間が決めてくれる。怒りは瞬間的に沸騰するが、火を焚き続けない限り、やがては冷める。冷めればものが考えられるようになる。

*1:最後に腕力で喧嘩をしたのが小学2年生だった。