深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

天気予報は

昔は、「天気予報」といえば「当たらない」の代名詞だった。
なんとなく予測がはずれたり、思ったことと違うことが起こったりしても、「まあ天気予報みたいなもんだしな」と自分を納得させたり。
天気予報ですらよくはずれるんだし、という感じだったかな。
今では「天気予報」は基本的には当たるもの、という感覚だ。それだけ精度があがっていて、多くの情報と分析によって細かく的確な予測ができるようになったのに加えて、降水確率というやつが「当たり」を増やした。0%と100%以外なら、降っても降らなくても「当たり」だから。
いずれにしろ、今の「天気予報」はかなり信頼できるやつだ。
私のほうは、相変わらず当たらないことだらけだけれど。人間用アメダスとか人間観測衛星ひまわりとかあれば当たるんかな。

書いてはいる、だが伝えない

年が明けてからずっと書いてないな、と思いきや、けっこう書いてる。
書いてるけど、消している。
ここだけでなく、mixiの日記とかマイミクのコメントとか、2chのレスとか、ちょこちょこ書き上げては、書き込まずにやめてしまっている。
書くことだけで満足しちゃってるのか。
書いたものをオープンにすることにあんまり意義が見いだせなくなってるのか。
あるいは書くものをオープンにすることになんとなく壁ができてしまってるのか。
なんかそんな感じ。


話し言葉の場合、「やっぱりやめよう」と中断できる段階は1つだけ。頭で考えたあと、口で出すかどうか、のところ。口に出した瞬間、相手にはもう言葉が伝わっている。
書き言葉の場合、2段階ある。1つめが、話し言葉と同様、頭から文字になる段階。2つめは、その書かれた文字、文章を相手に見せる段階。
だから、昔から、書いた手紙は一晩おいて、翌朝読み返してから封筒に入れろ、というんわけね。
ま、それで、やっぱりこりゃなんだな、と思えば、くしゃくしゃにまるめてゴミ箱行き。PCなら、さくっとキャンセル・削除ボタン。


書くことは面白い。書いた言葉は、明らかに自分の体から外に出ていて、独立した存在になっているけれど、でもまだ公的なものにはなっていない。生霊みたい?
だから書くことが好き。自分の書いたものを読むことも好き。自分のようなのに自分じゃない何かと出会うことができる。


これはとりあえず公開にしてみようっと。リハビリリハビリ。

なんとなく、なにげなく、年を越える

昔は、年を越すとき「よっこらしょっ」という感じだったなあ。
クリスマスを越すと、さあ今度は年越しだぞ、という感じで、いくぞいくぞ越すぞ越すぞ、と気合を入れて、大晦日に向かって(勝手に)盛り上がって、「ゆく年くる年」でさぁーいよいよだ、よしいくぞっ! よっこらせっ! 越した! ってな感じだった。
学生時代くらいまでは、そんな感じだったかなあ。


いつしか、年を越すのも「ひょい」と足どり軽く、さくっと越すようになっていた。
新年から店もあちこち開いているので真剣に年末年始の食べ物を用意する必要もほとんどない。お節をたくさん用意しても子どもはほとんど食べないので、気分程度に。テレビだって紅白以外にいろいろやっているし、それ以外にもゲームやらネットやら時間の潰し方はいくらでもある。
いつもと変わらず、いつもとほとんど同じように、年を越すようになったなあ。


もともと、年が変わるということ自体、人間が勝手に決めた線なんだから、人間がそのつもりで環境を整えなければ、別に他の時間と変わるところは何もないわけだな。
でも、やっぱりね、自分にとっては、線が薄くなるのはいいけれど、線がなくなっちゃうのは嬉しくないなあ。完全に消えてしまうことはないだろうしな。

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。
mixiに日記を書こうとしたら、案の定サーバエラーでした。
はてなは生きているだろうか。というわけで試しに書き込み。

【追記】
当たり前に書き込めた。しかも午前6時が日付変更線設定になっているので、日付が12月31日になるという罠。

数学脳と生活脳

夫と話していて、植木算あたりの話から、こんな会話になった。
私「だから、羊羹を4つに切る時は3回切る、とかそういうのに近い話だよね」
夫「え、4つに切るには、2回切ればいいでしょ?」*1
確かに。あの瞬間、私は数学脳、夫は生活脳だった。

*1:本人も狙って言ってる台詞なんだけどねw

自分が中年女になって気がついた

子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。
私は本を読むのが大好きだったし、父はよく本を読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理のレシピ本くらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。
私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは本読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。
また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。
母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、「疲れた」「頭が痛い」と言っては休み、家族でハイキングに行けば「私足痛いから、先行って」と泣き言を言い、くたびれたと言って休憩するのだった。
そのころ、私から見て、先取の意識に富み、なんにでも果敢に挑戦するタイプの父と比べて、なんと母は保守的で、小さな人なのだろう、と思っていた。


大人になって、いろいろなことに気がついた。母は、実は、できる人だったのではないか? と。
母から聞いた話で、「高校のころ、自分のクラスは女の子が5人しかいなくて、男の子ばっかりだった」というのがあった。そのときは、へぇ、としか思わなかったが、今から思えば、母はおそらく、数学や理科などの選択科目の関係で、そういうクラスに入ったのではないだろうか。母の高校時代といえば、昭和30年代前半。住んでいた地域も都市部ではなく、漁港のある田舎町であった。その当時、女子では高校進学しない子も多かっただろう。
母はその後、短大の食物科に入った。地元ではなく、遠い親戚の家に下宿しつつ通い、栄養士と教職の資格を取得して卒業した。それを生かすことは全くなかったが、母は、教職をとるためには余分に教職課程の授業をとらなければならず、周囲の友達はみなとらずに遊んでいたので、やめようかと思ったけど結局とった、と言っていたことがあった。
母は、難しい言い回しは知らなくても、数字や理科系の話には全く抵抗がなかった。数理は父が得意だったから母の出番はなかったが、今から思うと、母は実は中身は理系女子だったのでは。そう考えると、いろいろなことが辻褄があう。
母は読書はしなかったけど、手芸工芸からスポーツに至るまで、多種のお稽古ごとをやっていた。それぞれに、そこそこの作品を作っていた。ハイキングでは疲れるらしいが、軟式テニスは大好きだった。結婚前にやっていたものを含め、実際にやったお稽古ごとの種類は十を下らない。
教える要点をまとめるのも上手だった。教えるといっても、家の中で私や妹に教えるだけだが、料理の仕方のポイントや家事生活上での要点など、今思えば、短い時間で上手に説明してくれた。おかげで、大して手伝いもしなかった私でも、いつの間にやらずいぶんといろいろなことを知っていた。
実は、母っていろいろなことに果敢に挑戦する、知的で好奇心の強い人だったのか?
そう気づいたのは、本当に、成人して随分たってからなのだった。


さて、私も40歳、胸張って中年女と名乗れる域である。
読書の大好きなはずの私も、最近は本を読むのがつらくなってきた。もともと強い近視なので老眼の影響はまださほどないだろうが、文章を読んでもなかなか頭に入らない。集中して読めば入るが、そうすると今度は途中であれやこれや中断されるのがつらい。特に、物語にはあまり興味がなくなった。昔ならわくわくしながら読んだ物語が、あーそうですか、はいはいそういう展開ね、という感覚になってきた。実用書や軽いエッセイなどばかりになった。
ちょっと気張って出かけると、すぐに体のあちこちが痛くなるようになった。緊張しているうちはいいのだが、家に帰るとどっと疲れが出る。ああ、この様子、昔の母にそっくりだ。旅行やレジャーに行っている間はとっても元気なのだけど、家についた途端、「はぁーー疲れたっ」とがっくりする。
年取るってこういうことなのか、若いころはできていたこと、若いころはどんどんやりたいと思っていたことが、しょぼんと萎んできてしまう。
そして、あのころの母を思い出すのだ。母もそうだったのかな。若いころは才気煥発、夢いっぱいだったが、30代後半〜40代、50代となると、体も頭も萎んできてしまって、いろいろつらかったのかな。更年期障害もあったしな。


さて、母は。
今は60代、2人の子も独立し、今や悠々綽々、あのころよりも元気。最初は「一人で海外旅行なんて行けないわ……誰か一緒に行って」と家族にぼやいてた人が、自分から友達を誘ってツアーへ行ったり。「病気かしら、体調が悪いの」と言いつつ、体操教室に通って元気に体操。飲めるときは酒を楽しみ、居酒屋にも出かける。ちなみに父は全く飲めない。
どうやら、これが本当の母の姿らしい。私たちが若いころ見ていたのは、「母親はこうあるべし」という猫をかぶった母だったのだ。いや、正確には、何か、精神的にたがをはめられた状態だったのだろう。私たちという。
そして、私は。
今は萎んでいても、また膨らめる機会もあるもんだな、じゃあ焦ることもないか、と、日々を過ごしている。
娘たちが自慢げに「これ分かる?」「ねー、これすごいでしょ」と言ってくると、「あーすごいね、ママは分からないなぁ」と返す。
これだ、これだったんだよ! 親って本当に分からないわけじゃなくても、「分からない」って言うんだね!

「プッチーナ」を食す

今日、最寄りのスーパーで妙な野菜をゲットしてきた。その名も「プッチーナ」。プッチーニと言いそうになる*1が、ちょっと違う。
なんでも、東海地方初お目見えとかで、しかもそのチェーン店でしか今のところ扱ってない、という話。現在販促期間中で、販売元の了承の上激安キャンペーン価格で売ってるらしい。それでもそこそこのお値段だが、まあ悩むほどの価格ではないので、早速ゲットしてみる。


こんな感じのもの。

小さめのやや肉厚の菜っ葉、という風情だが、よく見ると、葉や葉柄の表面に小さなプチプチがたくさん。見た目は露がついたようだが、かなりしっかりしたプチプチであり、触るとプチプチというよりゴツゴツ。指でつまんでもすぐつぶれたりはしない。


パッケージのうたい文句どおり、とりあえず生でそのまま食べてみる……前に、上の娘*2に食べられた。海ブドウが大好物の娘、見た目でいきなり魅惑されてしまったもよう。娘によれば、「おいしい。山ブドウみたい! ちょっとからい」。山ブドウは全然違う食品だと思うが、言わんとするところはよく分かる。
自分も食べてみた。おー、これはなんというか。確かに、うっすらしょっぱい。たぶん、このプチプチの中に塩気が入ってる? 菜っ葉自体は癖も臭いもなく、やわらかい。ホウレンソウや小松菜が苦手な人でも大丈夫。やわらかいのでシャキっと感はない。
面白い。今まで食べたものの中で、これに似てると思うものは、ないなぁ。毎日食べるには価格が気になるが、見た目も面白いので、メインディッシュの付け合わせとしてちょっと飾ってみるとかわいらしくなりそう。


気になったので、早速PCで探してみる。
参考ページは、こちら。
佐賀県産のアイスプラント| サラダ野菜プッチーナ
プッチーナの販売会社。
あぐり屋さん|Agri mart
↑上記の販売会社がやっている、直営通販サイト。
プッチーナ」はこの会社の登録商標。一般名称はパッケージにも英語で書いてあるように「アイスプラント」というらしい。
アイスプラント - Wikipedia
面白いのは、このプチプチ、植物自身のために有効なもののようで、ここに摂取しすぎた塩分を隔離する、れっきとした細胞だという。これがあるおかげで塩分の強い場所でも生育できるのだそうな。人間なら、塩分を摂取しすぎた場合、尿に出してしまうわけだが、つまりこのプチプチは植物のおしっこ、というわけなんだね。え、違う? だって、このプチプチ=細胞の名前はbladder cells、つまり膀胱細胞。そのものでしょ。
プッチーナという商品名のほか、Wikipediaにあるようなバラフ、クリスタルリーフなどの名前でも検索してみると、いろいろ情報が見つかる。


というわけで、しゃれで買ってみたけどおいしかったので記載。

*1:実際、プッチーニで検索して情報を探せなかった馬鹿者がここに。

*2:名前(通称)はまだ無い。まだ決められなかった。