深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

なんとなく、なにげなく、年を越える

昔は、年を越すとき「よっこらしょっ」という感じだったなあ。
クリスマスを越すと、さあ今度は年越しだぞ、という感じで、いくぞいくぞ越すぞ越すぞ、と気合を入れて、大晦日に向かって(勝手に)盛り上がって、「ゆく年くる年」でさぁーいよいよだ、よしいくぞっ! よっこらせっ! 越した! ってな感じだった。
学生時代くらいまでは、そんな感じだったかなあ。


いつしか、年を越すのも「ひょい」と足どり軽く、さくっと越すようになっていた。
新年から店もあちこち開いているので真剣に年末年始の食べ物を用意する必要もほとんどない。お節をたくさん用意しても子どもはほとんど食べないので、気分程度に。テレビだって紅白以外にいろいろやっているし、それ以外にもゲームやらネットやら時間の潰し方はいくらでもある。
いつもと変わらず、いつもとほとんど同じように、年を越すようになったなあ。


もともと、年が変わるということ自体、人間が勝手に決めた線なんだから、人間がそのつもりで環境を整えなければ、別に他の時間と変わるところは何もないわけだな。
でも、やっぱりね、自分にとっては、線が薄くなるのはいいけれど、線がなくなっちゃうのは嬉しくないなあ。完全に消えてしまうことはないだろうしな。