深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

娘2人を書き分ける方法で悩む

自分の娘のネタを書こうとすると、娘が2人いるので、区別する書き方をしなくちゃならない。
これまでは上の娘・下の娘、と書き分けたり、過去のブログでは仮名を使って書いたりしていたんだが、上下はいちいち書くのが面倒だし、かといって仮名だとどっちが姉でどっちが妹か初めて読む人は訳が分からない。長女・次女ってのも他人行儀だし、そもそも言葉が硬くて使いにくい。「長女がダンスィみたいで、まーた傘を壊して帰ってくるしっ、もう長女なんとかしろっ!」とか、なにかノリが合わない。
夫は自分のブログでは娘(大)・娘(小)と書いているが、そろそろ娘(小)も大きくなってきて、(小)っていうより(中)って感じだ。そのうちどう見ても娘(大)×2になってしまうだろう。ちなみに娘(大)はいまでも堂々たる(大)だ。1年生だが、なぜか初めて会う人はみな「3年生?」と聞く。
上の子と下の子とが初めて読んでもぱっと見てわかりやすく、それでいて女の子だと分かる、でもってそこそこかわいい書き方はないもんか。
一子・二子じゃ人数みたいだし、しかも囲碁みたいだ。上子・下子じゃかわいくない上、あまりに下子がかわいそう。あからさまに上だの下だのいう表現はどうもよくない。
甲子・乙子はけっこういいかな、と一瞬思ったが、どう見ても「きのえね・きのとね」です。甲子園球場は甲子の年にできたから甲子園なんだっけか。
松子・竹子くらいか? でもなんか、なんとなく「渡鬼」っぽい。
富士子・鷹子はけっこう格好いいけど、三女が茄子子になるのがちとかわいそうだ。三女の予定は全くありませんが。
なにかうまい書き方はないもんか。

いや〜な夢を見た

昨夜、実にいや〜〜〜な夢を見た。悪夢というほどじゃないが、とにかくいや〜な夢。


自分はうつ伏せに病院のベッドみたいなところに寝ていた。
周囲の話からすると、どうも、帝王切開での出産のために入院したところらしい。
自分はといえば、


困ったな……一度も妊婦検診受けてないよ……それどころか母子手帳もらってないよ……
どうしよう……ってか、本当に妊娠してるのか? エコーも当ててないし、胎児見たこともないし……
こうしてうつ伏せに寝ててもお腹苦しくないし、妊娠してないんじゃないの?
でも、それじゃなんでこんなとこに寝てるんだろう……確かにお腹は大きいし……
もしかして、私、妊婦検診受けたりしたの全部忘れちゃったんだろうか……記憶喪失になっちゃったのか?


と頭の中でぽけたーんと考えてるけど、周囲はお構いなしに帝王切開の準備をしているらしく、その様子からすると、やっぱり自分は記憶喪失になっちゃったんだろうか……
それとも、なんか宇宙人かなんかがお腹に入ってきて、うわぁぁぁぁぁぁ?


という夢だった。
あー、短いが、猛烈にやな夢。おかげで早寝したのに、寝た気がしない。

正しさってなんだろう

正しさって一つじゃない。
他人の言ってることを見ると、ああ、なるほどな、それは正しいな、と思う。
しかし、それと対立する意見を見ると、ああ、そういう考え方なら、それも正しいな、と思う。
唯一の正しさ、というのはよっぽどなくて*1、その立場、周囲の環境、その思考を育てるに至った経過などで、いくつもの正しさが生まれる。
しかし、ああ、それも正しいよね、ああ、そっちも正しいよね、と言ってるだけでは、ただの中身空っぽのコウモリだ。自分は自分で、自分自身の正しさをもっていなくてはならない。そうでなければ、正しさを判断することができない、極めて不安定な、常に揺れ動く存在となる。それは往々にして、自分自身だけでなく、周囲の人間まで巻き込んで不安定にする。好ましい状態とはいえない。
だが、かといって、これが私の正しさです、というものに固執し、てこでも動かない、となると、これはこれで大問題。なぜなら、自分の正しさが唯一の普遍的な正しさとは限らないからだ。他の状況、他の人にとっては、それは明らかな間違いであり、実際にいろいろと具合が悪くなる可能性も多々あるのだ。
正しさって一つじゃない。


そんなふうに、ぐるぐると考えが巡って巡ってまた元に戻ってきてしまい、何も言えなくなっている今日このごろ。

*1:全くないわけじゃないけど、というか唯一の正しさとして存在してもらわなくてはいろいろと困る、というものもあるのだけど。倫理に類する何かとか、そんな。

ブログの断定口調

ブログを書くときに、いやに気を回してしまうことがあるわけで。
なにかについての意見や見解を書く場合に、断定口調にするか、それとも「〜と思う」とか「〜と感じる」という文末を使うか。
基本的に、個人のブログで一人が記事を書いている場合、事実や客観的現象(新聞記事などのようなものですね)を書いたのでない限り書いたものはその人が考えたり感じたりしたことであることは明白だと思うし、やたらに「〜と思う」を多用すると文章のテンポも悪くなり、読みにくくなるので、「〜だ」「〜なのだ」という断定口調を使うことも多々あるんですが。
そういう書き方って、誤解される場合もたぶんあるんでしょうね。なんか、それってまるで一般的事象や決定事項のように書いてるけど、違うでしょ、そうじゃないでしょ、とかね。
いや、そんなん、個人のブログに個人が書いてることなんで、私がそう思ったってことです、という前提があるに決まってるじゃないですか、ってちょっと思わないでもないですけど、でもまあ、書いてないことは書いてないんだし、いちいち行間読めってのもねぇ、ってとらえ方もありますよね。


最近、どうも自分の書く文章に「と思う」「と感じる」が多いなぁ、下手な文章だなぁ、と感じる私なのだった。
あ、ここに書いてる文章の話ではありません。最近ここにはほとんど書いてないですもんね。「最近とかいって、更新してないじゃん」と思う方がいるかもしれないので。ははは。

子どもが泣くとき

小さな子、幼児が号泣するのは、かなりプリミティブな事情だ。
未就学くらいの年齢の子は、植物がひきちぎられようと、虫を踏みつぶそうと、そうそう泣かない。だって、まだ死をよく知らないのだから。*1
だが、自分の母親や身近な大人が怒鳴り散らしたり、感情的になって号泣したりすると、自分も泣く。とても悲しい気持ちになったり、とても怖くなったりして、泣く。泣かないにしても、強い恐怖や不安感を抱く。

*1:中には「お花さん、かわいそう」と言って泣く子もいる。が、それは「お花さん」という擬人化を大人が強く刷り込んでいる子の場合だ。多くの子は、きれいな花を摘んで集めたり、草の葉をちぎって並べたりするほうが好きだ。

我慢とは

先日出かけた講演会で、「我慢とは、欲求充足の延期である」という言葉を聞いた。
演者は学校関係を中心に活動している心理カウンセラーなので、心理学上の用語なのかもしれない。
なんかいいなぁ、と思ったのは、我慢とは欲求充足の断念ではなく延期という言葉を使っているところ。いきなり完全に諦める、ではなく、今はできないけれど将来のどこかではできるかもしれない、いやまあ一生できないかもしれないけど、でもできないと決めつけたもんじゃないし、という、無責任かついい加減なペンディングがいい。
他人にどうこうではなく、自分自身が何かを我慢するときは、気分的に、そう思っていたほうが楽かもしれないな。中途半端に希望が残るほうがかえって苦しくていやだ、という人もいるだろうけど、どっちかというと、自分の場合は、今ここでチャンスを逃したら二度と回ってこないかもしれない! などという必死さというか切羽詰まりさ(そんな言葉ないけど)のほうが自身にとって苦しいかな。

ある日、ゲーム店でもらったもの

今日はポケットモンスター・プラチナの発売日ですね。この時間ですのでまだ我が家は入手しておりません。予約してあるので品切れの心配はないですが。
というのはマクラで。


この夏のこと。
夏休みにあわせて多数のゲームソフトが発売になり、私もある日、そのうちの1本を買いに行ったわけです。近場のゲーム店に。
そこは、PCショップとゲーム売り場が併設になっており、こんな田舎には珍しく、PCパーツやちょっと変な周辺機器類などが充実していて、そういう意味でもありがたい、行きつけの店です。まあ、そういう店なので、ゲームを買いに来る人ばかりではなく、PC関係で来る人も多く、客層はやや高齢のおじさん層から若年層、子連れファミリーに至るまで、多岐にわたっています。
その日のお客さんもそんな感じでした。特にソフトの発売曜日というわけでもなく、時間的にも中途半端な平日の昼間だったのですが、ちょこちょこお客はいました。
自分の目当てのソフトを見つけ、PC関係の小物も一緒にしてレジに持っていき、1万円札を払い、お釣りに数枚の千円札と小銭をもらう。


おや、と視覚的に違和感を覚えてもう一度お釣りを見てみると、お釣りのうちの2枚ほどが、真新しい、三つ折りの札だった。
三つ折りの新札をよく見かけるシチュエーションは、だいたい限られている。大概がお年玉だ。ポチ袋に入れるには三つ折りがちょうどよい、四つ折りでは分厚くなりすぎる。逆に、御祝儀のように大きな熨斗袋に入れる場合は折らずに入れる。
そんなわけで、そのお釣りを見たときに瞬間脳裏に浮かんだのは、大事に机貯金しておいたお年玉を握りしめて、お盆に遊ぶゲームソフトを買いにきた小学生の姿だった。いや、別に中学生でもいいんだけど。そこはやっぱり小学生でしょう、ほら。
1月にもらったお年玉を大事にとっておいて、半年以上使わずにおいて、楽しみにしていたソフトが出たら、お小遣いで買ってもいいよ、と。
今もそんなふうにして、ゲームソフトを買う子がいるんだなぁ、どうか買ったゲームが彼あるいは彼女にとって嬉し楽しい宝物になるといいな、と、ほんわか妄想してしまった。そんな猛暑日だった。


お父さんがこっそり子どものお年玉持ち出して自分の買い物しちゃったとかは、却下ね!