深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

ワクワクが止まらない

最近、毎日のようにワクワク、wktkしている。
なんでかというと、上の娘が4月からいよいよ小学校入学、新1年生だから。
娘本人がワクワクするなら普通だが、私までワクワクしている。というより、本人より私のほうがよっぽどワクワクしている。夫は別にワクワクしていないもよう。下の娘は自分は入学できないので悔しいもよう(あと2年待て)。
あんまりワクワクするので、最近の小学校の様子、小学生の勉強や習い事のこと、小学生の生活の様子などを調べて、ますますワクワクが止まらない。


自分が学校へ行くわけでもないのに、このワクテカ感はいったいなんだろう。
娘を自分の分身のように思ってるんじゃないか、というのは、違う。私が学校に通うわけじゃなし。
娘のワクワクがうつってるのでもない。娘はたぶんまだ先の小学校のことよりも、来月の学習発表会とか、次はお友達と何して遊ぼうとか、そっちのほうがよっぽどワクワクのはずだ。


一つには、自分は新しい体験することがすごく好き、ってことがある。
「子どもを小学校に入学させる」「小学生の母親になる」という体験は、私にとってまるっきり初めてのこと。どんなことがあるんだろう、どんなふうに感じるんだろう、娘はどんなふうに変わるのか、笑顔で帰る日、泣いて帰る日、怒ってる日、いずれにしろ成長は必ずする。そんな変化があることを思うだけで、もうワクワクして止まらない。
もう一つは、自分自身の追体験をしている面がある。
自分が小学校にあがったとき。小学校でやったこと、感じたこと。小学生のとき習った習い事や、参加した行事のこと。そんなことが、あれやこれやと思い出される。細かくは覚えていないけれど、その時に感じた楽しさ、喜び、高揚感などを思い出す。そうそう、思い出は美しいのだ。当時嫌だったこともあったはず、でもそういうのはあまり思い出さない。人間の記憶のセーフガード機構はよくできている。


子どもと自分を重ねてはいけない。なぜなら別人だから。自分の体験は参考にはなっても、唯一の正解にはなり得ない。
それは忘れてはいけないのだけど、でもワクワクしてしまう。自分のことのように。というより、まさに自分のことです。
心配することもあるはずなんだけど、でもそんなのはぶっとんでしまって、ひたすら楽しみ。ちょっと抜けすぎかな。でもまあいいや。