深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

体験学習アプローチの2つの方向について

体験学習するとき、2つの方向のアプローチがある。
1)「知識を頭に入れる→実際の例を知る」というアプローチ。
2)「実際の例を経験する→それに関する知識を知る」というアプローチ。
実際には双方向が互いに入り交じりながら記憶・学習していくものだけれど、最初のとっかかりとしては、どららかに分類できるものであろう。


1)は、例えば、図鑑を見てさまざまな野草の写真を見て、その名前や生えている場所、大きさなどについて知る。そして、そのあとで、公園や野原などへ行き、実際に生えているのを探して観察してくる。
2)は、同様の例でいえば、普段から公園や道端などで草花を見たりちぎって遊んだりしていて、あるタイミングで図鑑を見て、今まで見ていた花がなんという名前か、他にどんな場所に生えているのか、ということを学習する。


1)は、机上の知識から入るため、それぞれの環境や興味範囲に左右されにくく、直接体験するのが困難なことでも知識を拡げて行ける。上記の植物観察の例でいえば、都市部では山間部の、山間部では都市部の植生の観察は一般に困難なので、体験を先にするのは限界がある。また、同様の理由で、個々人の差に左右されにくいので、集団学習には向いている。
一方、2)の場合は、実際の例(体験)をしていることから、知識について頭の中で具体化・連想化しやすい。「ナズナ→○○ちゃんとよく遊んでる公園に生えていたね」という感じで。連想は記憶を強化するために重要な役割を果たすので、既に体験している事柄については、そうでない事柄よりも、より印象強く興味深く感じる、ということは往々にしてある。


どっちがいいか、というと。
体験は机上の学習に比べると時間もかかるし、チャンスも限られている。体験ばかりしていても知識化しなければ知識としてはあまり役に立たない(体験としては役に立つ)。しかし、学習する本人にとっては「知識を覚えるためにした(勉強のための)」体験と、そういう目的は特になく体験した体験とでは、まずその体験に対する積極性や自律性という点で、後者のほうにより良い強い印象を持つだろうことはあるかもしれない。その強い印象に知識を結びつけることができれば、知識自体も、強固なものとなるだろう。
とはいえ、知識をもった状態での体験は、その知識の裏付けをするための観察や行動を効率よく行うことができる、というメリットもある。
ようするに、どっちがいいという話ではない。
理科実験などでは、基本の流れはこうなる。

仮説をたてる → 実験を行い結果を出す → 結果を整理し、結論を出す

仮説をたてるためには知識が必要だし、実験およびその結果という体験からさらに結論という知識へ結びつける。どちらを欠いても実験としては本来足りない。
とすると、知識→体験→知識と進むのが最もよいのかもしれないが、やはり知識と関係なくいろいろな体験を素直にすることへの憧れも捨てきれないのである。
知識のための体験でなく、体験のための体験をしたい、というか。そこから自然に知識へとつながって、あとから「ああ、あれはそういうことだったのか!」と思う驚きをなくしたくない、というか、。
甘いのかなあ。


そんなことを、続々送られてくる新1年生向け通信教育の各社のパンフレットや教材を見ながら思ったりする今日この頃。