深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「学校裏サイト」へお父さんが突撃した話

数日前から話題になっている、この話。
学校裏サイトで娘が実名で攻撃され、父としてメールを送ってみた。:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ
娘を攻撃する学校裏サイトに親としてメッセージを書いた結末:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ
娘を攻撃した学校裏サイトでの「いじめ」が解決した~子供のネット規制は禁酒法時代の二の舞か?:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ
学校裏サイト」と正面から対峙した保護者の話として、興味深く読んだ。
ブックマークではいろいろと言われているようだが、この父娘がとった手段としては、やはり最も適切なやり方のうちの一つだったんだろうな。
このお父さんとお嬢さんには、上記3記事から読み取れるだけでも、以下のような特徴がある。

  1. 父娘の関係がよく、安定しており、忌憚なく互いに会話できる。
  2. お嬢さんは知的で聡明、自分の危機にも冷静な判断と分析ができる。(「裏サイト」書き込みの一人二役を見抜いている、目立つことや委員長をやること自体に非はないことを自身で納得していることなど)
  3. お父さんは、娘の学校行事に積極的に参加し、娘の友人たちも知っている。
  4. お父さんも知的で、単なる親馬鹿ではなく、子どもの危機に対して自分がどこまで出ていいものか冷静に判断している。

おそらく、これらの特徴のうちの1つでも欠けたら、この方法はうまくいかなかっただろう。逆に言えば、上記の条件が揃わない場合に同じことをしようと思うと、とんでもない結果になる可能性も大きいともいえる。記事自体はハッピーエンドだが、おそらくこれは劇薬。使いこなすには、聡明な父、聡明な娘、父娘の良好な信頼関係、父(保護者)と学校(娘の友人関係含む)との良好な関係が必須だ。あくまでうまくいった一例であり、他の人間が真似しようとするととんでもないことになるかもしれない、とは思っておいたほうがいいように思う。
逆に、こういうケースで対処するためには、最初からこういった状況を作っておくのはよい方向に働く、という考えをしておくほうがいいような。つまり、保護者は学校へ積極的に参加し、親子の関係を安定させ、ものを考える時は冷静に分析せよ、ということだ。そうあるべき、ではなく、そうしておけばいざという時よい方向に働くかもよ、という程度の話として。


もう一つ、上記の3記事から読み取れることがある。
この記事を書いた吉田さんは、娘さんの誹謗中傷を書いた生徒たちに対しても、

 これらの誹謗中傷を書きこむ者たちは、本当に軽い気持ちで書いている。 子供同士のちょっとしたコミュニケーションミスで憎んだり、プライドを傷つけられたり、ひがんだりした一時的な感情で書いているのだ。

 多くの「学校裏サイト」は、学校生活で必要な通常のコミュニケーションとしての役割だけでなく、イライラを発散させる場所としても重要な役割を持っている。 ただ、これらの中傷コメントの書込みが、どれほど本人を苦しめるか、家族や社会にどれほどのインパクトを与えているかという重大性を理解していないだけだ。

 だから、私は、常に真摯な対応をするべきであって、けっして感情的になってはならないと考えた。 しかし、裏サイトに好き勝手に書き込んでいる者たちに緊張感を与えることも必要だ。

娘を攻撃する学校裏サイトに親としてメッセージを書いた結末:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ

と、「娘をいじめているひどい子たち」という視点ではなく、娘同様、普通の高校生として考えている。
自分の子がいじめられている、と思うと、即座に相手を敵認定してしまいがちだ。しかし、そうではなく、相手も話せばわかる相手かもしれない、同じ高校生だ、という視点がある。実際に直接的に身体的・物的被害を受けるようないじめではそんな悠長なことは言っていられないが、「裏サイト」に関しては、そういうワンクッションは必要なのかもしれない、と思う。言うなれば、「こらーっ、うちの子をいじめるなぁーっ!」ではなく「まあまあ、そのへんにしときなよ、やりすぎだよ」という感じか。
この記事群では、どうも、筆者の方は、お嬢さんだけでなく、お嬢さんの友人や同級生たちに対しても、ある種の信頼をもっているように感じられる。
これはあくまで憶測なのだけど、おそらくこのお嬢さんの学校は、中高一貫の女子校で、かなりレベルが高いところなのではないかなあ。高校単独では保護者が気軽に参加できる行事はあまりないように思うし、とりあげられている「裏サイト」書き込みの内容に男子の影が感じられない。
だとすれば、筆者の方が娘の同級生に信頼をおくのもわかる気がするのである。「この学校にはどうにも話の通じない奴なんていないはず」という感覚かな。そして、実際にそういう書き込みが通じていることからしても、たぶん実際に「裏サイト」で悪口を書いていた同級生たちは「話が通じる」子だったのだろう。
このへんは、「どうにも話の通じない」者たちと学校生活を過ごした経験がある人にとっては、「そんなことありっこない」と感じるかもしれないな、と思ったり。