深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

公平・公正の基準

公平・公正の判断の基準なんて、考えたこともなかったな。
なぜなら、公平・公正を一人の個人が判断できると思わないから。
一人の個人が基準を決める、あるいは判断することは不可能だと思っていたから。


公平とか公正とかいうのは、多角形の重心みたいなものじゃないかと思っている。どの頂点にも、決してそれは存在しない。多数の頂点間のバランスをとるためには、それらの頂点ではない場所を支えるしかない。
ということは、どの頂点から見ても、そこは遠い。


公平らしきもの、公正らしきもの、それっぽい擬似的なものは、人間にも作れるのだろうと思う。
しかし、真の公平・公正の基準は、人間には作れないと思う。すべての人間が感情や人生や経験や異なる属性・環境をもっている限り。
作れるとしたら、人間ではない、外部の存在にだけ。


だから、よく「神様は不公平だ」って言うんだよ。
真の公平・公正は、どの頂点からも遠くて、誰もが必ず多かれ少なかれ不満をもつような場所にあるはずだから。