深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「母性」と「女性」

「母」というのは、「女性」とも異なる第三の性ではないかと思うことがある。「母」というより「母性」というべきかもしれない。
「父性」と「男性」はシームレスに繋がっていて、特に境界もなく、両立できるような気がする。男性は、父親になったからといって、男性であることをやめたりはしないし、やめることを誰かに求められもしない。
しかし、女性は、母親になると、なぜか「母である前に女でいたい」などとしゃちこばらないと「女性」でいられなくなる場合があったり、むしろ「女性」らしくいようとすると「もう子どももいるのに‥‥」なんて眉をひそめられたりすらすることもある。
もちろんカギカッコ付きの「女性」も「母性」も女性だ。にもかかわらず。


一方、男性から見ても、おそらく「女性」と「母性」は別ものに見えるのだろうと思う。
全く同じ姿形で年齢も中身(精神)も同じ女性が2人いて、そのうち1人は自分の子を連れていて、もう1人は一人でいる、という条件の場合、男性が惹かれるのは後者だろう。少なくとも、子どもを連れた女性のほうがより魅力的に見える、というケースはほぼないと思われる。そして、なぜかそれは自分自身の妻(自分の子の母)を対象にして発動してしまうこともあるようで。


それで良いか良くないかも何とも言えないし、生物としてはまあそんなふうになるのもしょうがないのかなぁと変に納得してしまうところもあったりするのだが。
そんな中、「母性」と「女性」をうまく両立させてしまう女性もいたりするようだから、人間の可能性って大したものだと思う。


【追記】(2007.8.13)
書き上げた直後に追記。最後の行、うまく両立させるというより、「女性」と「母性」をTPOで使い分けるという感じか。自分の子のいるところでは「母性」、いないところでは「女性」というふうに。