深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

鉄っちゃんとカーマニアについての考察

私の夫は、いわゆる「鉄」、鉄っちゃんである。
とはいえ軽めの鉄で、あえて言うなら「読み鉄」あるいは「知り鉄」とでもいったところだろうか。そんな言葉が分類としてあるのかどうか知らないが。鉄道関係の本を読んだり知識を得たりすることが好きなようだ。知識という点に限れば、変な駅名だの、車両の型番だの、時刻表のなんとやらだの、ナントカ鉄道の歴史だの、どこで乗り換えれば運賃が安くなるだの、車体のからくりやら鉄道事故に関する話やら、広い範囲で読んだり知ってたりする。


そんな夫に聞いて知ったことなのだが、バスや航空機に興味がある人々のことも「鉄」に分類されるのだそうだ。実際、夫は航空機も好きなのである。バスってゴムの輪ついてるよ? ガソリン(いや、軽油?)で走るよ? レールないよ? 飛行機なんか空飛んじゃうよ。でもみんな「鉄」の仲間なんだそうな。
で、乗り物系でくっきり分かれるのは、自動車・バイク。これらは「鉄」とは全く異なる人種だという。


ここから先は、夫の話ではなくて、私が思った話だけれど。
「鉄」に分類される乗り物趣味は、基本的には自分で自由に運転したり改造したりすることができない、制限の多いものなんだな。運転したり整備したりできるのはごく限られた業務従事者だけ。いつ乗る、いつ降りる、どこを通るさえ自分では選べない。運行にあわせて乗り、降りる。
ただ、その制限のぶん、大きさや力強さはより感じられる。また、自分の思うようにはならない制限ゆえ、逆に観察者としての楽しみを得ることができる。
動物でいうなら、猫好きなタイプ。あるいはライオンやゾウみたいな巨大動物好き。(暴論)


一方、自動車やバイクは、もっと人間サイズに近い。自分で車体に手を入れ、こねくりまわし、飾り、チューニングする、自分の思う形をつくる楽しみがある。自分で車体を操り、自分の思うように動かす楽しみがある。人間より力強い機械を愛するとしても、それが自分の手に余るようでは愛せない、あくまで自分がそこに影響し支配できる範囲まで、というところだろうか。
動物なら犬好きタイプ。もしくは動物は好きじゃないタイプ。(さらに暴論)


同じ乗り物好きでも、性格によって、鉄っちゃんになるかカーマニアになるか、分岐があるのかなあ。
ちなみに私はどちらでもありません。もともと女性の鉄っちゃんやカーマニアは少ないけど。どっちにシンパシーを感じるかといえば、まあ、言わずもがなですね。夫の話してるし。