深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

これの実例

で、この記事を書きながら思っていたのだが、どうも「思い」という言葉は、使うだけでメロウなフェミニンなポエミーな、甘ったるい雰囲気を醸しだしてしまう。
本当は、なにかの意見を読んだり見たり、ニュースに触れたりした時に自分の心中に生まれる感覚的異変について、この言葉を使いたくはなかったのだが、他にうまく当てはまる言葉が見つからない。
同じ記事の中で、「感情」とか「感覚」という言葉も使っているけれども、「感情」と言ってしまうと喜びやら悲しみやら怒りやら、そういった情動を表すものと混同しやすく、またされやすい。「感覚」というのは、前に味覚に関する記事を書いたように、いわゆる五感に相当するもの、脳神経細胞の興奮と関連するもの、身体的なものと混同しがち、かつされがちだ。
結局、「思い」と言うのが最もぴったりくるのだが、しかしこれを使うといきなり、メロウなフェミニンな(以下略)。
もっと語彙を増やせばいいのか。もっと言葉をたくさん使って説明すればいいのか。
今回の場合の正解は、「いや、別に甘ったるくったっていいじゃん、自分が甘ったるい話したいわけじゃないんだからさー、読んだ側がどう捉えたって関係ないっしょ」なのだろうが。