深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「自己実現」という空虚な言葉

育児関係のブログ記事やその他の記事を漁っていると、よく「自己実現」という言葉に行き当たる。
多くの場合、ワーキングマザーについての話で、「仕事によって自己実現を望む」というような使い方をされているようす。
論調は二極化していて、「自己実現のために子どもを犠牲にしてるのはどうなのよ」という方向と、「育児のために自己実現できないってのはどうなのよ」という方向。どっちが正しいとか間違ってるとかいう話ではないが、まあ両論ある。


育児と仕事の両立に関しては、「自己実現」などよりも、むしろ経済的な理由でやむなくやっている人のほうが多いと思われるし、経済的な理由が薄い場合でも「私は子どものことより自己実現に生きるのよ!」などと鼻高々で仕事している人はほとんどいないだろう。多かれ少なかれ、なんとなく子どもに申し訳なく思っていたり、自分は子どもに対してちゃんと愛情を注げているだろうか、と自問自答しつつやっていたりするだろう。
はなっから子どもを顧みない親は、きっと「自己実現」なんて考えたこともなく、ただ自分のやりたいように自分勝手にやっているだけだ。


自己実現」の実体は、果たして、あるのだろうか?
育児とは直接関わらない人々が「自己実現」という幽霊を寄ってたかって叩いてるだけのような気がする。