深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

少子化・出産関係記事のブックマークコメントを読んで

産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書くに続き、それでも私は産んだ。それはなぜか。 - 深く考えないで捨てるように書くへも大きな反響、たくさんのコメント、ブックマークコメントをいただきました。本当にありがとうございます。
直接いただいたコメントについてはコメント欄で直接お返事させていただきましたが、ブックマークコメントのほうにもいくつかお返事したい内容のものがありましたので、こちらの記事で書かせていただきます。


はてなブックマーク - 産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書くより、id:suVeneさんのコメント。

suVene 少子化, 育児 産みたいのも、産みたくないのも、どちらでもよいが、『産まないほうが自分自身の人生だけに限れば間違いなく楽しく過ごせると思って』いながら二人産んだ理由とか知りたいな。老後の問題とかだろうか。

二人産んだ理由については後で書いた記事で返答になっていると思いますので、二重カギカッコ内のフレーズについて。
「産まないほうが自分自身の人生だけに限れば間違いなく楽しく過ごせると思っている」ことは事実です。
しかし、今の私は、子どもがいて、存分に楽しいです。なぜなら、「自分自身の人生」だけを生きているわけでは最早ないからです。
子どもがいない場合、自分自身の人生を100%楽しめるとすると、子どもがいると、やはり80%だったり60%だったり、場合によってはもっと低くなったりすることもあるかもしれません。しかし、その減った分、「親としての人生」「家族としての人生」の分を得ることができて、結局その分多く楽しんでいるように思うのです。


同、id:SeiSaguruさんのコメント。

SeiSaguru ふむ。それ以上に産むことや子供の大切さの大きさもありそう。以前なら産みすぎたら子減らしとか軽くってことはないけど、少なくとも捕まることはなかったかも。過ぎた時に取り返しがつかない時、するのを戸惑う。

出産の問題のポイントの1つはそこです。一旦産んだら、やり直しはきかない。やっぱり産まないほうがよかったのでやめます、というわけにはいきません。自分の生涯だけでなく、子どもの生涯と2人分を背負うことになります。やり直しがきくことなら、「とりあえず一遍やってみればいいじゃん、それでだめならやめればいいし」と言えるのだが、こればかりは。だから安易に勧められないと思ってしまいます。


はてなブックマーク - それでも私は産んだ。それはなぜか。 - 深く考えないで捨てるように書くより、id:kanimasterさんのコメント。

kanimaster life 配偶者不在の考え方。夫婦愛、家族愛といった感情はどこへいったのだろう。(↑それって「外的要因」なんですか?

自分の夫という要因については脚注に書き、「外的要因」の「外的」の部分は、考え直した上、消し線で削除しました。
ただ、それは、我が家の場合はそうです、ということです。当時、自分の産みたいのは夫の子であって、それ以外にはあり得ませんでしたし、基本的な方向性として配偶者の意見のほうを尊重しよう、という自主的意志が私にありました。
しかし、一般論として「産みたい」という純粋な欲求そのものに目を向けたとき、配偶者の存在はやはり二次的なもの、周囲環境にすぎないという考えもまた存在します。
ちょうど、元記事コメント欄のSpringfogさんのコメントに、その一つの実例をみてとれます。そこまではいかなくても、結婚を考えた相手が、子どもをもつことに関して自分自身と異なる考えだったために、あるいはそれがいくつかの要因の一つとなって、結婚をやめるケースは、現に存在します。
また、海外では、精子バンクによる人工授精で子どもを産むシングルマザーがいる、ということも報道されています。配偶者の有無と関係なく出産、子をもつということに対する指向です。*1
純粋に出産という行為について考える時は、家族・配偶者の存在、場合によっては育児(育てる行為)といった要因とは慎重に分けながら考える必要があると私は考えています。それが最初の「外的要因」という表現に出てしまった次第です。


同、id:SeiSaguruさんのコメント。

SeiSaguru 産みたい…より作りたいに近い感じ? この欲求は他の欲より、制限が多い欲にゃね。育てるに、人間の歴史を作るとか作る手伝いをするとか充実感はどうなのかな。こどもの欲しい人の理由に多そうなポイントだけれど。

「作りたい」はどちらかというと「妊娠したい」に通じますね。やはり「産みたい」です。ちなみに、現在の私は、もう一人産むのはいいけど、妊娠はしたくないです。体力的に。
「人間の歴史を作るとか作る手伝いをするとか」というようなマクロな視点は、比較的男性的な視点で、産む主体である女性たちには、そういう発想はむしろ少なく、マクロ的に語られると違和感を覚える場合が多いと思います。
私自身の場合も同様です。というか、できるだけミクロに極私的に考えないと、「なぜ『私が』産むのか」が見えてこないんです。出産は、なんのかんの言って、もしかしたら命を賭けるかもしれない体を張った仕事なので、自分自身の中のモチベーションが高まらないとなかなかその気にならない、というのもまた事実です。


どうもありがとうございました。

*1:是非は問わず、そういう指向が存在する、という意味での重要性。