深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書くの保守的じじいさんのコメントに答える

産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書くのコメント欄で保守的じじいさんと継続的にコメントのやりとりを続けてきました。
どうしてもコメント欄だと長文のやりとりが難しく視認性も悪いので、もしさらにコメントをやりとりを続けたいならばこちらで、ということで、新たに記事を起こします。
元記事へのコメントは引き続き書けるようになっていますが、内容によっては独断でこちらのコメント欄にに移動させていただく可能性があります。よろしくお願いいたします。


まず、保守的じじいさんの最初のコメントをこちらに転載させていただきます。

年を取った時に自分の分身が存在するのとしないのとでは自分の精神面でも大きく違うという反論が出そうですがいかが?
また、今の自分の生活は、自分の力だけで得られたわけでなく、1億人超の経済活動、あるいは過去の先輩方の経済活動の上で成り立っているわけですが、それについてのコメントは?

http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070212/1171279334#c

これについて、既に短いコメントでは返答させていただいていますが、あらためてきちんとまとめて意見を述べます。


まず、前半の「年を取った時に……」という件。
子どもをもっている場合ともっていない場合において、老年期の精神状況は異なるだろうことは、想像に難くありませんし、実際そうだろうと思います。特に、淋しさや不安感、孤独感というものの感じ方は顕著な例でしょう。そのことに反論はありません。
コメント欄では、子どもをもったけれど子との間に溝があるケースを紹介しましたが、それでも親本人は「それでも子どもをもってよかった」と思っていることも多いものです。


にもかかわらず反対の意を書いたのは、一つには、子どもなどもたなければよかった、と感じている人は、老年期に至るはるか以前に子どもと決裂している場合が多いのではないかと思ったからです。
具体的には、虐待を行う親、そこまで至らなくても家庭内で子と決裂している親、子が極めて反社会的な人物(凶悪犯罪者など)になってしまった親*1などの場合です。

また、例え悪い方向になったとしても、年を取ったら、子供とどんなに悪い関係になったとしても、例え面倒見てもらえない関係だったとしても、やはりその子が「存在」してよかったなと思う時が来ると思います。それは脳みそでウンヌン考えるものではなく、もっと生物的なもの、心で感じるものです。

http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070212/1171279334#c

老年期まで子と時間を過ごすことができた人は、もともと子との関係が比較的良好である、子に愛情を感じている場合が多いでしょう。最後の病床で邪険にされたとしても、愛情があればやはり子どもがいてよかった、と思うでしょうが、その愛情が十分に育まれない場合や、愛情を子が手ひどく裏切る場合はやはりあるのです。


また、保守的じじいさんは、これに関して、こう述べています。

まず、悪い方向になるかどうかですが、それは自分の努力次第と言えます。仕事もあるでしょうが、人間何でもそうで、どこにどれだけ自分の時間と脳みそを使うか、その采配もまた自分次第なのです。

http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070212/1171279334#c

努力論に帰してしまうのは納得できません。虐待をする親の多くは、虐待が問題であることを自ら理解しています。積極的に子どもを傷つけることを楽しんでやっている人などほとんどいないです(皆無ではないでしょうが)。虐待などやめたいけれど、悪循環に陥って、自分一人で抜け出すのは困難になっているケースは多々あります。
そういった事実も、単なる努力不足と言い切ってしまうなら、やはり認識不足と言わざるを得ません。努力すればなんとかなる、というのは、合理的な解決策を遠ざけるような悪しき根性論と変わりません。
また、話は異なりますが、どこにどれだけ自分の時間と脳味噌を使うか、自分で采配するものであるならば、最初から「私は子育てには向いていないから別のことに力を注ごう」という采配もありえるのではないか、という気がします。


続いて、後半の「社会貢献」の件について。

また、社会貢献の話ですが、確かに出産育児以外の社会貢献というのも結構な話ですし立派な話です。しかし、それらは出産育児を超える物ではありません。むしろ出産育児あって初めて成り立つ話ばかりです。

http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070212/1171279334#c

これは、おかしいです。
出産育児と、社会的貢献活動(労働、経済活動などを含む)による社会貢献は、並列に存在するものであり、どちらが上どちらが下と直列的に比べられるものではありません。出産・育児と社会的貢献活動は同じ人物が同時に行うことができることから考えても、それらが直列的かつ排他的なものではないことは明白です。
ですから、「出産育児あって初めて成り立つ」わけではありません。
もちろん、人間がいなければ人間社会は存在しないわけで、そういう意味で出産育児が重要な社会貢献であることは肯定します。が、社会的貢献活動がなければ、それもまた社会が成り立たないことも考えてみてください。どちらが上ということはなく、どちらも重要なのです。
それならば、社会的貢献活動をしつつ、出産育児もすればいいじゃないか、と思われるでしょう。
ある意味、その通りです。そこで、現状では「育児と仕事の両立」が容易ではない、という現実に直面するわけです。現実に直面した時に、それでも両立をこなす人ももちろんいますが、やはり両立は困難と考えた場合、出産育児と社会的貢献活動とどちらを選ぶか。私は既に述べたように、どちらが上ということはないと考えているので、当然、どちらを選ぶかは最終的には本人の選択に任されるべきだ、と考えます。
「育児と仕事の両立」が容易になれば、出生率は上がるという考えは一般的であり、少子化に対する一つの対策と考えられています。これは今の話とあわせると、合理的です。


ここからは、理屈ではなく感情が入ってしまいますが、言わせてください。

間違えないでください。僕が議論の対象としたいのは、「あなた」ではなく、「出産育児のデメリットを強く主張するあまり、メリットを全否定する文章(を書いたあなた)」です。

http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070212/1171279334#c

これは議論の対象にはなり得ません。あなたが私の文章に腹を立てただけでしょう。
世の中には、本気で出産育児にはデメリットが多くてメリットがない、と感じている人もいます。いなければ、これほど少子化が進むはずがない。
そういう人がそのように感じること、そしてそれを書くことを、誰が否定できるでしょうか。書かせないことができるのでしょうか。
あなたは議論をしたかったのではなく、怒りや憤りや苦情を私にぶつけたかっただけではないのですか。
それならば、最初からそのことだけをおっしゃればよかったんです。現に、他の方でも、私がネガティブに読み取れる記事を書いたことに対して、反意を表す記事やブックマークコメントを書いている方もいます。なにもコメントを表明していない方の中にもきっとそういう人はいます。この文章を読んで、共感するか、反感をもつか、その他の感情や意見をもつか、それは人それぞれです。
むしろ余計なことを書いたために、私がコメント欄で次のように記したことを書いてしまった。

それではあえて申し上げます。あなたのここでのコメントの文章は、書いたあなたが思っている以上に、子どもを産むことを現に迷っている人、産んではみたが子どもを可愛く思えないで苦しんでいる人、自分は子どもをもつ意思がないのに他者に子どもを持つことを強要されている人、さらには子どもが欲しくても身体上の理由などで持つことのできない人(そういう人は子どもを産めない以上社会貢献ができない、と断定されているわけです)を必要以上に深く傷つけます。

http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070212/1171279334#c


私の文章などという瑣末なものを議論の対象にする意味はありません。私が「すみません、言いすぎました」と言えば済むことかもしれません。しかし、私が書いたこと以上に強固に「産みたくない」「産めない」と思っていて、そして産んでいない人が現に多数いるわけです。だから少子化になっている。
議論するなら、ちゃんと焦点とすべき点を焦点にしたいのです。産まない彼女らにどのような言葉なら届くのか。どのような状況なら産みたくなるのか。
あなたがおっしゃったことは、「北風と太陽」の「北風」としか私には思えませんでした。社会貢献になるから、と言われて、それなら産もうかな、と思う人がいるでしょうか。他の方の記事ですが、これを読んでみてください。
自分の子供に「お前は"少子化を解決するために"に産んだ」とか言うつもり? - 練習帳
国のため、社会のために産むことは、「不純な動機」。この感覚に共感します。
一方、「産んでみれば、結局、やっぱり産んでよかったと思うもんだよ」という言葉は、メリットと言うのとはちょっと違うとは思いますが、私もわかりますし、それをうまく伝えられたら「太陽」になれるのに、と思います。しかし、産む前の人にとっては、ただ言葉だけでは「えー、そうかなぁ……」と疑う気持ちもあるでしょう。そこを、どうすればうまく伝えられるのか。
もし議論を続けるのならば、そのあたりが糸口になるのではと思います。


最後に、これだけは言います。

あの文章は作者であるあなたが考えている以上に、子供を持つ親と、何よりも、あなたのお子さんを必要以上に深く深く傷つけます。

http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070212/1171279334#c

私の子はそんな馬鹿じゃありません。あれを読んで「私のことほんとは産みたくなかったのね」と誤解するような子ではありません。「そんなにいろいろ大変なことがあるのに、私を産んで育ててくれたのね」と思う子です。そりゃ私の子ですから(デレデレ)。いや親馬鹿ですみません。申し訳ありません。
まあ、実際のところ5歳と3歳だからまだ難しいことは全然わかんないんですけどね。

*1:そういう状況になる場合、親が悪いのか子が悪いのか、という論議はここでは中心的なものではないので省きます。