深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

助言なんてのは

助言についての記事を多く見たので、なんとなく思いついたこと。
なお、発端になったらしい話には全く関係ない内容であるし、関わる意図もない。単なる連想である。


助言なんてのは、大人同士の場合なら、原則的には相手から請われた場合だけすればいいものだ。大人なんだから、そのくらいの自己管理はできる、すべき、という前提でいい。
相手が子どもの場合は、その限りではない。実は本人の中では一杯一杯なのに、本人がそのことに気づいていなかったり、気づいているけど助言の請い方が分からなかったりすることがあるから。どういう状態なら一杯一杯なのか、どのようなときに他人に助けを求めると自分がうまく楽になれるのか、そういうことまで含めて学習中、成長中なわけなので、ときには本人が求めなくてもこっちから助言すべき場合がある。その助言の仕方やタイミングをの計り方もかなり難しいには難しいのだけれど。
一番の問題は、大人と子どもの境界は明瞭でない、ということだ。実はここを判断するのが最も難しいかも。
年齢的には明らかに成人だが精神的には幼い、という人に対するときは、あまり問題がない。上記の判断に基づいて「助言しない」を選択すれば、それ以上ややこしくなりはしない。
つまり、一番難しいのは、子どもをいつごろから精神的大人と想定すべきか、ということになる。ここから先は個別対応なので、その場合その場合に応じて考えなくてはならないことになるが。