深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

親が子どもにストレスをかけること


今月から下の娘が幼稚園に通うようになった。なんとかトイレトレーニングが間に合った。まだ完璧ではないが、小さい方はたいてい自分で行ける。大きい方はまだ心もとないが。先生、ごめんなさい。
1ヶ月前にはまだ、うまくトイレができないと自分で分かっているので、「布パンツはこう」と言われると「いやっ! 紙パンツ!」と主張し、「トイレ行こう」と言われるといきなり逃走してしまうような状況だったのだが、今ではすっかり自信がついたようで、何も言わなくても自分でプリキュアの布パンツ*1を出してきて、はく。


上の娘は、そろそろ欲が出てきたらしい。ヤマハ音楽教室に通っているのだが、幼児科1年目の終わりに差しかかり、弾く曲の難易度がだんだんあがってきた。最初のころは家で練習しなくても、週1回レッスンで練習する程度でだいたい弾ける程度だったものが、最近はその程度ではまともに弾けなくなってきて、家での練習が必要になってきた。
そんな中、まだ家で練習するのが習慣付かなくてレッスンでうまく弾けなかったりするのだけど、そういう時に涙ぐむようになったのだ。これまでは、間違えても大して気にしなかったのに。
そんなことがここ2回ほど続いて、私も先生も驚いてしまったのだが、それだけ娘の中で、上手く弾きたい、間違えたくない、という欲が出てきたということなのだろう。


2人の娘がそれぞれに、自分の越えてゆくべき壁に対峙していることが感じられる。
下の娘のそれは、まだ大したものではない。3歳の現段階では、まだその壁は、身体が不自由などの特別な事情がない限り、誰でも越えてゆくし、越えてゆかねばならないことだ。壁を越える時には必ずストレスを感じるものだが、そのストレスを与えることについて、親は特に迷うことはない。トイレに行きたくない、と言っても、根気よくトイレ行けー、トイレ行けーと繰り返せばいい。
しかし、まもなく6歳になる上の娘になると、その質は異なってくる。越えるべき壁なのか、それとも回避してもよいものなのか。必ずしも、絶対に越えなければならないわけではない壁も出現してくる。
この年齢では、娘本人はまだその判断をできないから、親が代わりに判断をする。ピアノが上手くなるために、毎日練習しなさい、と声をかけるのか。毎日練習することは、娘本人にとっては決して楽しいことではなく*2、他の遊びをしているほうがいいに決まっているけれど、練習しなければ上手くはならない。しかし、「練習しなさい」と言うのは、本人にとってはストレスだし、子どもに癇癪起こされるのは親にとってもストレスではある。


ヤマハの件については、私は、現段階では娘にレッスンを続けさせる、練習もするよう声をかけ続ける、本人がいやだと言うときもあるだろうけどそれでも言い続ける、ということで決めているからいい。娘の様子や会話の内容から、本人はもっとピアノを上手く弾けるようになりたい、という意識があることが分かっている。
しかし、今後、音楽の件だけに限らず、いろいろな壁に彼女は直面していくだろう。壁を避ければ、ストレスはかからない。壁を乗り越えようとすれば、ストレスがかかる。しかし、それは必要なストレスだし、ストレスを受けることによって、本人がより成長することもある。


子どもにとって、ストレスはあるべきか、それともストレスは避けるべきか。
子育てしていく上で、これはどうしても直面する案件だ。ストレスなしでは、いざストレスに直面した時に非常に打たれ弱い子になるだろうし、ストレスをかけることによってより大きな成長が見込める、ということもあるだろう。一方、ストレスばかりでは、成長どころか、そのストレスに押しつぶされてしまうこともあるだろう。どの程度のストレスならばよい方向に働くのか、どれ以上ストレスをかけたら倒れてしまうのか。一人一人の子どもごとによっても違うはずだし、環境によっても違うだろう。
ストレスを回避することは、動物の生来の能力として、本人たちの中にあるだろう。いわゆる、楽な道をとる、という方法だ。しかし、楽な道をとり続けることが最も良い道ではないわけで、ストレスのかかる方向へと誘導していかなければならない場合が多々ある。
親は、大好きな子どもたちに、あちこちの場面であえて嫌な思いをさせる役割でもあり、そういう役割を担うことを要求されているということでもあるわけだ。


「人に迷惑をかけないようにしよう。他人にいやな思いをさせないようにしよう」という意識を強くもった教育を受けていると、そうやって子どもにストレスを与えることにも、つい及び腰になってしまいがちな気がする。子どもだって、自分自身でない限り、他人のひとりであるから。
適度にストレスをかける。適度ってどのくらいだよ、なんてことはやってみなければわからない。怖がって足りなすぎてもいけない。たぶん、適度の範囲は、かなり広い。その範囲ならば、やり直しもきく。あれこれ試行錯誤しながら。これからも。

*1:このプリキュアパンツ様が娘のトイレトレに目覚ましい活躍をしてくれたのだが、その話は省略。とりあえず、一生プリキュア様には足を向けて寝られない。

*2:まれに練習大好きという子もいるだろうが、娘はそうでないことは確認済。