深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「とげとげ」と「つるん」

コンペイトウみたいにとげとげの形をしているけど、実は触ると軟らかいもの。
つるんと滑らかな形をしているけど、実は触ると硬いもの。
ぱっと見、どちらも硬軟や質感が判断できないような見かけだとして、どちらかをしっかり掴んで自分の頭にぶち当ててみろ、と命令されたとする。命令には逆らえないとする。
さて、どっちをぶち当ててみるか。
たぶん、つるんとした形のほうをやってみるだろうなあ。
でも実際にぶち当たって手も頭も痛い思いをするのは、とげとげでなくて、つるんのほう。


何度かそんなことを繰り返しているうちに、今回はとげとげで試してみようかとか、前回はとげとげのほうが軟らかかったけど今回は実はとげとげも硬くて痛い思いをしたとか、同じ硬いならつるんのほうがとげとげよりマシだからやっぱりつるんにしようとか、どうせ同じ硬くて痛いならとげとげでもつるんでも痛いに違いないから、そのたび好きな方を自由に選べばいいじゃないとか、いろいろと考えるようになる。


ようするに、とげとげとつるんのどっちを選ぶかには、正解はない。その場その場の条件によって変化する。そもそも、痛い=不正解ともいえず、痛くても別に自分の好きに選べることのほうが自分にとっては正解なんだよ、という考え方もある。