自分の告別式で流したい曲
こんなことをふと思ったのは、あるところで、自分の告別式にどんな曲を流したいか? という話題があったことたらだ。生前お別れ会ではなく、一般的な告別式での話だ。
自分は棺桶の中にいるのだから、もちろん、その曲を聴くことはできない。曲を流すのは、参列者のためだ。まあ、故人は生前、自分の告別式ではこの曲を流したいと常々言っておりました……とアナウンスしてもらえば、自分(故人)の主張を伝えるという意味もあるんだが、その場の様子を窺えない以上、やはり結婚式でどんな曲を流したいか、とはちょっと違う意味合いかなぁという気はする。
告別式で故人が選んだ曲を流すのは、故人の死生観を表現する、という意味合いが強くなる。私は死について、死による別れについてこう感じています、というような。曲の選び方によっては、私(故人)は死に対して恐怖は感じていなかったよ、とか、私は死んでもみなさんのそばにいるよ、とか、私は死んだらもうどっかに行っちゃって消えちゃって解放されると思ってるよ、とか、本当はまだ死にたくなかったんだよ、とか、いろいろとあるけど、どんな状況でも伝えられるのは、私は死というものをずっと前から感じていて、考えていて、そのことは心の中にあったんだよ、ということ。
自分は、ずーっと前から決めていて、フォーレのレクイエムを流し続けてくれるといいなぁと思っている。死なんて別に劇的なもんじゃなくて、「はいおしまい、とっぴんばらりのぷぅ」みたいなものだ、と思っているからだ*1。平凡な選択だが、やはりいい曲はいい。奇をてらうことはないな。
*1:もちろん、死に至る経過にはいろいろな事情があり、病気、事故、犯罪、到底平凡とはいえないような事情もある。病死であっても突然死もある。ただ、それが劇的なのは、残された側にとってだ。死んでしまった側にとっては、どのような終わりであっても、それは単純に終わりであって、その先にどうこう思うことはないのだ。というのが自分の死生観。