深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

理想の○○

「理想の○○」と言うとき、どことなく、その「理想の○○」は現存しないというか、実在しないからこそ「理想」なんだ、と思っているふしがある。
「理想」の「想」は「空想」の「想」、なんて漠然と思っている。
で、理想と現実は別物というか、ジャンル違いなので、「理想の○○」についてあれこれ思うときと、「現実の○○」について考えたり悩んだりするときは、そもそも重なり合わない。一部重なることはあっても、完全に重なることはない。
○○には「子ども」といれても「仕事」といれても「異性」といれても「人生」といれても「家族」といれても「生活」といれても、なんでもいい。なんでも入る。


と言っても、それは私にとっての話であって、理想と現実を分けず、とことん現実の枠組みの中で理想を追求する人もたぶんいるのである。