深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「空気読めない」の含む不可能性

昨日、自分で書いておいて気になった点。

そういうことを考えると、結局、実際にこの言葉が使われるときは非常に曖昧で広い範囲で使われるような気がする。言えるのは、この言葉は相当特殊な状況でなければ、肯定的にはまず使われない、ということくらいかも。

「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く

自分の脳内でざっとシミュレーションしてみてこういう結論に至ったのだが、現実にどうかは不明(全てのケースを検証はできないから)。しかし、自分はこう感じた。
そう感じた理由は、「空気読めない」という言葉が不可能性を含んでいる、可能形の否定形であるから、のようだ。
「読まない」ならば通常の否定形であって、否定である以上の特別な意味はもたない。しかし、「読めない」という可能形の否定形は、もしそうしたいと望んでもすることができない、能力的に行うことが不可能、という意味合いをも含む。
すなわち、「空気を読む」という能力に欠ける、能力的に不足がある、という意味合いともとれる。
一般に「〜できない」という可能形の否定形は肯定的な意味には使われづらい。あるとすれば、「そんな悪いことはできない」のような、もともと悪い意味の行動に対してそれを否定する、意味的な二重否定によって強い肯定をあらわす場合の形だ。
ということは、「空気を読む」という言葉が明確に悪い意味をあらわすかどうか、によるが、今のところこれは、明確な肯定でも否定でもない、比較的中庸な意味合いの言葉であると思われる。肯定的に使われる場合は多いだろうし、一方では「空気ばかり読んで(=その場の雰囲気に流されて)どうすんの」といった具合に、やや否定的に使われることもあるだろう。
以上から、「空気読めない」は、「空気を読む」の意味合いよりもむしろ「読めない」の部分にある可能形否定形により、まず肯定的には使われない、と判断した。


というのが、昨日の自分の思考ルートを自己分析した結果。