深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「空気読めない」の範囲

いわゆるKY、空気読めない、というのは、空気を読んで行動していない、という意味を含むのだろうか。
例えば、場の空気は理解しているんだけれど、その空気が意に染まないので、わざとそれに逆らった言動をする場合は、空気を読めてない、になるのだろうか。この場合、わざと逆らうためには、場の空気を正しく読んでいることが前提条件になるのだから、空気が読めていてこそKYな行動が可能、ということになる。
あるいは、いわゆる空気読めない言動をしてしまったあと、場の反応が妙である(しらけていたりとか)ことに気がついて(この時点で「空気を読んだ」わけだが)、「あっ、今私KYだったね、ごめんごめん、私基本的にKYだからごめんねー」と言ってしまうのは、空気が読めているのだろうか。この場合は、最初は読めていなかったけれど、場の反応に気がついた時点で、空気が読めた、ということになる。
そういうことを考えると、結局、実際にこの言葉が使われるときは非常に曖昧で広い範囲で使われるような気がする。言えるのは、この言葉は相当特殊な状況でなければ、肯定的にはまず使われない、ということくらいかも。