深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

私ではわからない

自分は自分の目でしかものを見ることはできない。
自分は自分の頭でしかものを考えることはできない。


公平に、公正に自分自身の偏りをできるだけ離れてものを考えようとするとき、できることは、さまざまな異なった立場にたつ自分を想像してみることだ。
しかし、それを想像することができたとしても、同じ立場にたつ別の人と同じように感じ考えるとは限らない。別の人間であり、別の心をもつ以上、全く同じにはならない。まるっきり別のことを感じ考える場合もある。
だから、どんなに他の人を理解しようとしても、理解できないこともある。私がその立場なら、きっとそうは考えない、と。
お前にはわからないんだ、と言われれば、そういうことだ。わからない。私にはわからない。私ではわからない。
そのこと自体は、いけないことでもなんでもない。ただ、わからないだけだ。


大事なことは、わかろうとしてもわからないことが存在する、ということを認めること。
わからない自分を責める必要はないこと。わからないことはわからないこともある、と認容すること。
そして、わからないまま置いておくほうがよいことも中にはある、ということ。


【追記】(2007.11.24)
本文中、消し線部分を削除し、強調部分の表現に修正しました。