深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

からだをもたぬ声

声と音の境目はどこなんだろう。
と、今話題の初音ミク嬢の歌声を初めてじっくり聞いて思ったのだった。
ここで歌っている音は、たしかに声のように聞こえる。しかし、それは声ではないはずだ。音にすぎないはずなんだ。と心の隅で言っている奴がいる。
でも、聞いてみれば、これはまぎれもなく声だよ。言葉を発しているし、それを聞き取ることもできる。そのままワンフレーズ聞いても、本物の声と区別できない人、けっこういると思うよ。そう言う奴もいる。
言葉かどうかが、声か音かの違いじゃないでしょう。言葉にならない叫び声も間違いなく声じゃないか。でも、これは声じゃない。合成された音だ。
声も音の一種でしょ。じゃあいったい、声を他の音と区別する基準は、なんなの。


生きたからだがあるかどうか、じゃないのかな。
声を発するのは、生き物だ。人間じゃなくたって、動物でもいい。
生きたからだから出たものが、声なんだ。
からだという発音体と結びついているのが、声。


でも、合成音といっても、元は人間の声のサンプリングなわけでしょ。ということは、音そのものとしては、ほぼ同質ってことじゃないのかな。ある程度の変化はあるけど、ある周波数の空気の震えの集合体という意味では、ほとんど同じって言ってもいいんじゃないかな。
その同質の音に対して、声と音と区別することに意味があるのかなあ。


たぶんね、それは、その声あるいは音を発した発音体こそが聞いた人にとって重要な場合があるからだと思うんだよ。
その声そのものじゃなくて、その声を発した誰それさんがその人にとって大切だ、っていうケースだね。


音楽という意味では、それが音か声かどうかには、あまり意味がないことも多いよね。アナログ楽器とデジタル楽器は、それぞれに素敵な音を出し、すばらしい音楽を作る資になるし。どちらも、音という意味では同等に価値があるものってことだ。アナログ楽器の音の代用としてデジタル楽器を使いましょう、という場合は、そうならないこともあるけどね。


これまでは、技術的な制約があって、合成音声が人の声と区別がつかない、ってことはなかったけど、将来には、そういうことも出てくるのかもしれないね。
そうすると、今度は、どうしてわざわざ生声なの? とか、本物の声出すのめんどくさー、とか、自分の声嫌いだから合成音声にしか喋らせません、とか、そんなことが起こってくるようになるかもしれないのかなあ。
まだ当分そういうことにはならなさそうだけどな。