深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

伝達のための言葉と表現のための言葉

言葉・言語には二つの側面がある。
一つは、あることを他者に伝えるための、伝達のためのツール。
もう一つは、あることを表現するためのツール。
二者は似ているように見えるけれど、実は全く異なる。前者の言葉は、発語者自身のためではなく、伝える相手のために使われる。後者は、発語者自身のために使われる。ちょっと乱暴に言えば、相手がいなくても使われるし、相手にうまく意図が伝わらなくてかまわない、という態度ともいえる。


言葉を使うとき、多くの場合ではこの両方の機能が同時に使われる。自分の表現したいことをできるだけ的確に言葉に写すことと、相手にできるだけ的確に伝えることの両方を目指す。
しかし、その比重の重さは往々にして異なる。例えば、論文やビジネス文書なら、相手に伝わらなくては全く意味がないので、後者が重視される。詩ならば、前者の比重が重くなる。
しばらく前に見かけた「難しいことをやさしく説明できる能力」の話題も、これと関連する部分があるのじゃないかと思う。自分自身が思考するために適した言葉と、他者により理解しやすく伝えるための言葉は、系統が違う。その間には必ずしも互換性があるとは限らない。


伝達ツールとしての言葉は、「相手のために」使うので、相手が分かる言葉を使う必要がある。一般的な文法と語彙を使用するのが基本だ。子どもに話すならば子どもの語彙の範囲で。日本語の分からない人に話すなら、日本語ではなく他の言語で。
だから伝達ツールとしての言葉は、ある程度の一般化・共通化が必要だ。教育で教えられるべきは、この共通化・一般化されたものだ。


一方、表現ツールとしての言葉は、まずは、自分が表現したいと思ったことがその言葉にうまく写っている、と自分が感じるかどうかが肝心だ。そのために使った言葉が、他者から見たら何を言っているのかまるっきり分からない、という言葉だとしても、自分にとってその言葉が最も適切だと感じたならば、それこそが適切な言葉ということになる。極端に言えば、文法も一般的な語彙もそこには厳密には必要ない。


以前に知人から聞いた話。
その知人のそのまた知人夫婦が、自分の子が生まれたとき、面白半分に、色鉛筆の色の名前を、わざと1つずつずらして教えたのだそうだ。つまり、赤、青、黒と並んでいるとしたら、それぞれ、青、黒、赤と教えたということ。色鉛筆だから約12色についてそう教えられたというわけ。
その子が大きくなって、検診で色を尋ねられることがあったそうだ。主に色覚をみるためだが、そのとき、当然ながらその子は自分の習ったとおりに色を言う。
驚いたのは検診を担当した保健士で、いくら調べても変な色名を言って、全て間違い。一体どんなことになっているのか、色覚が変なのか、と思ったが、よくよく聞いてみると、どうやら同じ色は同じ名称で呼んでいる。つまり色の識別自体はできているらしい。これはおかしい、と親を呼んで、この事情が判明した。もちろん親はこっぴどく叱られた。その後覚え直して事なきを得たが、そのままその子が大きくなっていたら、あとで覚え直しに苦労したことだろう。それ以前に、もし気がつかれずに「信号は赤はとまれ、黄色は注意、青はすすんでいい、ですよ」と教えられていたら。
とまあ、これは極端な例だけど(でも実話)。【追記(2007.10.22):この行につき、最下段に追記しました】


「正しい日本語」の教育は、少なくとも、その子だけのためではない。社会的要請によって行われている。しかし、その子自身がディスコミュニケーションに陥りにくくするため、という意味では、まさしくその子自身のためである。
そのことによって失われるものがあるとしたら、それは失われるべくして失われるものだったのではないだろうか。少なくとも、表現のための言葉や、表現したい自分、表現することの楽しみを失うことはないはずだ。
子どもの文章の間違いを直す教育をしたからといって、直された者の感性が失われるわけじゃない。なぜなら、もともとその文章は「間違い」であって、表現として意図的に使われた言葉ではないからだ。直されれば、ああ、こういうのは違うんだ、と思うだけ。
偶然詩のような、よい文のようにみえるものが書けたとしても、なにも意図せず偶々ならば、それは才能でも感性でもない。単なる間違いである。サルがペンキを塗りたくったものを、真面目に抽象画と称したりはしないだろう。


【追記】(2007.10.22)
ブックマークコメントでご指摘いただいたので、修正します。

とまあ、これは極端な例だけど(でも実話)。

確かに、これは「実話と聞いた」だけであって、実話と確認したわけではありませんでした。「このような話を聞いた」ことが事実である、という内容に修正させていただきます。ご指摘ありがとうございました。