深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

本日、未熟者

未熟といえば、最近こういう歌がリリースされている。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND54819/index.html
作詞:中島みゆきTOKIOに提供されてドラマ「受験の神様」のテーマになっていた曲だが、先日、中島みゆき本人の歌ったバージョンもアルバム「I Love You、答えてくれ」に収録された。


中島みゆきの使う「未熟者」という言葉には、丸くなれない、落ち着いたオトナになれない未熟さへの優しいまなざしや肯定感があふれている。
未熟であることは、本当は本人が一番つらいんだよね。でも、未熟であること自体は悪くもなんともないんだよ。そこで丸くなってしまえば、オトナになれたらどんなに楽か。でもそうなれないからこそ未熟者なんだよね。やさしい人をおろおろと探す、見つかるかどうかわからないけれど。でも探さずにはいられない。そんなやさしい人はどこにもいないんだ、と諦められればどんなに楽になるだろうか。それが成熟ということなのか。成熟するにはこうすればいいんだよ、と教えてくれようとする人の手を払いのける。それもまたつらいことなのだけど、そうせずにはいられない。
そんなメッセージが聞き取れる、ような気がする。


中島みゆきの歌を20代のころの歌と聞き比べると、現在の彼女は成熟していると感じる。しかし、未熟であること、未熟な人がたくさんいることを忘れてはいない。そして、彼女自身は、自分はまだ未熟であると感じているのかもしれない。これはわからないけれど。
今の自分は成熟しているように思えるかもしれない。しかしかつて未熟だった頃は間違いなくあった。今でも、自分で成熟したと思っているだけであって、他人から見たら未熟者にしか見えないかもしれない。
「本日、未熟者」とは、「今の自分は成長の過程にあり、これから変化していくものだが、今現在は愚かに違いありません」とか「今は未熟のままでいさせてください」とか、そんな意味もあるのかな。