深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

人間関係の非対称性

トラックバックいただいたこちらの記事を読んで。
WEBと世間 - 不動産屋のラノベ読み
直接記事内容への返答というか感想はコメントに書かせていただいたが、直接的なコメントとはすこし離れて、こんなことを考えた。


人間関係において、その深さの非対称性というのがある。
二人の人間がいて、その間に人間関係がある。しかし、Aさんから見たBさん、という関係と、Bさんから見たAさん、という関係は、必ずしも一致しない。例えば、AさんにとってBさんは気の置けない友人だが、BさんにとってのAさんはただの知り合い、というようなこと。珍しくない話だ。
そういう非対称性があっても、大概の場合、あまり問題にはならない。人間関係は幅のあるグラデーションみたいなもので、ある程度の幅の中に入っていれば、事実上ほぼ同等と扱っても問題ないことがほとんどだ。上の例で言えば、AさんとBさんが互いに相手に対する親しさ、自分との近さの感じ方は違っても、互いにある程度以上の親しさがあり、さらにその上の段階の親しさ(例えば無二の親友など)には達していない、という認識があれば、通常の交際においては特別問題は起こらないわけだ。
しかし、ネットにおいては、この関係性の非対称性が際立って表れるケースが往々にして見られるように感じている。Aさんから見たBさんは見も知らぬ赤の他人、しかしBさんから見たAさんは何か文句を言ってやれるくらいには近い、というような。*1
AさんもBさんも間違ってはいない。ただ、それぞれの判断が非対称的なだけである。
この非対称性が、記事「ネガティブコメントってこんな感じ?」で描いた風景だ。


id:Lhankor_Mhyさんは、冒頭リンク先記事でこのように述べている。

 つまり、世間が狭ければ、街で歩いていてもつっこみが入るのです。

 そうしてみると、ネガコメにびっくりする問題というのは、「世間を背景として認識していた」人間が「背景につっこまれてびっくりする」という話では、と感じています。

まったくおっしゃる通りだと思う。
で、たぶん問題になるのは、結局「背景である世間」はどこまでの範囲を言うのか、ということになるのではないかと私は思う。
これは私見だが、人間の認知の範囲として、すべての人間が背景でない状況というのは情報処理能力的な限界から受け入れ難いのではないだろうか。網膜に映ったもの全てを"見る"わけではなく、鼓膜を震わす音全てを"聞く"わけではない、というのと同様に。人間は大量の情報の中からある程度の量の情報を取り出して認知する。情報処理能力は個人差もあるし、訓練によって能力を上昇させることもできる。劣化することもある。
つまり、「世間を背景として認識する」ことはごく自然な状態だと私は考えるのだが、その「世間」の範囲をリアル生活の感覚で設定すると、ネットでの現状と大きく乖離してしまうことになる。だが、これは体験してみないとわからない。いきなり「ネットには『世間』はほとんどなくて見知らぬ人同士でもいきなり距離が近づくんだよ」という認識をするのは、できる人もいるけどやはり難しい人も多数いる。
だから、びっくりするのはごく普通の反応だと私は思っている。「なんでこんなことでびっくりするんだよ」と思う人もいるみたいなのだけど*2、私は「いや、やっぱりびっくりするって!」と思ってしまう。びっくりの度合いは人によって違って、「あ、ちょっとどきどきした」くらいの人もいれば「心臓止まるかと思う」人もいる。あまりに動転して他のことが手につかなくなる人もいる。
そのあと「ああ、ネットってそういうもんなんだね」と慣れていく人もいるし、「ネット怖い」と引っ込む人もいる。認識する「世間」の範囲を広めるか、あるいは「世間」を狭めて自分の能力の手に負える範囲に留めるようにするか。ネットにいるままで意図的に「世間」を狭めて自分の処理能力に合わせるやり方もある。これは無断リンク禁止の件と関係するかもしれない。


いずれにしろ、ネットはその全てを包括して飲み込んでなおそこに存在するものなのだと私は認識している。そのくらいネットは懐が深くて「広い」ものなのじゃないかな。だから一人の人間としては、能力の限界として、その全てを把握してつかまえることはまずできない。自分の近くの一部を切り取って、まずそこを見てみる。他の人はたぶん違う一部を見ている。同じところを見ている人もいる。興味のもてないところ、見ると自分がきつくなるところはは見ないという選択をすることもある。全てを見ろ、なんて言われても無理。
他者を背景にする、という方法は、そういう切り取り方の一法でもある。
などということを思う。

*1:この差異の大きさはネットの大きな特徴だと思っている。人間関係のグラデーションが急峻で、リアルでの関係に比べると、中間にあたる中途半端な部分がとても少ない。そういう意味では「リアル常識」と「WEB常識」は確かに異なると私も思う。

*2:id:Lhankor_Mhyさんがそうだとは思っていません。