深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

逆方向へ歩いてゆく人

北から南へと歩いてゆく人がいる。
南から北へと歩いてゆく人がいる。
同じ道をそれぞれ歩いていくと、ある場所でぶつかる。
北から来た人は「南へ行きたいから下がれ」と言う。南から来た人も「北へ行きたいから下がれ」と言う。
そこで対立が始まる。自分が南へ、北へ行く正当性を主張する。相手が北へ、南へ進むことが間違っていることを説得しようとする。自分の行きたい方向がどんなに素晴らしいか演説する。
穏やかな旅人もいる。「私は南(北)へ行くが、あなたが逆方向へ行くことは否定しない。できるだけ横に退くからうまく通りすぎていってください」と言う。
そんな穏やかな人にまで「そちらへ行くのは間違ってるから、私と一緒に戻りなさい」と無理やり腕を引こうとする人もいる。
「私も南(北)へたどりつけないとしても、あなたが北(南)へ行くことを阻止することのほうが重要だ」と両腕を拡げて立ちはだかる人もいる。
ぶつかった同士が二人とも「あなたはあなたの道をどうぞ。私は私の道を。互いに少しずつ退きましょう」と言うこともある。
対立と議論ののちに、互いに互いの行く道を認め合うようになり、手を振りながらすれ違い去って行く場合もある。
有無を言わせず、ぶつかった相手を叩きのめし打ち倒して、その上を踏みながら先へ進む人もいる。


実際のところ、道幅は例えようもなく広い。
自分の横を今通りすぎて逆方向へ歩いていく人は、目に見えるよりもはるかにたくさんいる。互いにその存在に気がつきもせぬまま、自分の思う方へと歩いてゆく。


【追記】(2007.9.28)
自分と同じ方向へ歩いていく人もまた見えにくい。しかし同じ方向ならばゆっくりと見ることができる。すれ違う列車同士と同じ方向へ走る列車同士の見え方のように。