異論とストレス
ネットに限らずの話ではあるが、ネットだとどうしてもよく見かけることになるので。
人間にとって、自分の意見と異なる意見を見聞きすることは、実はけっこうなストレスなんじゃないだろうか。直接自分に向けられた意見でなくて、どこかで全く無関係にふっと書かれていたりするのをたまたま読んだというだけでも。
自己承認云々とはまた別のからくりのような気がする。多様性の存在とはそうあるべきで、従って自分と異なる意見が世の中にはたくさんあって、中には真反対の、互いに完全に相容れない意見も存在する、ということは理解かつ承認している。
ただ、なにか、不安なのだ。均質なものだとなんとなく安心できて、雑多であるとそれだけでなんとなく不安になる、というような。怒りやむかつきまでもいかない、なんとなくざわざわと落ち着かないような、決して気持ちよくはない、妙な胸の感覚。
議論の有意義さ、異論の重要さは承知している。それに、すべての他人が自分と同じ意見を持っていると想像してみると、こんな恐ろしいことはない、そんなことは絶対にあってほしくないと思う(実際あり得ないが)。
また、適度なストレスは精神に緊張を与えて賦活化してくれもするから、異論がストレスであること自体も必ずしも悪いことじゃない。むしろある程度はストレスを得たほうが私はいい。
それでも、ときどき、そういうざわつき、不安感が少しつらくなるときがあって、そういう時はやはりネットからすこし足が遠ざかる。ストレスに対する抵抗力が低下している時なのかもしれない。あるいは、精神的緊張を解きほぐしたい時かも。
私の書いたものをたまたま読んでしまって、そんなふうにざわざわする人もたぶんどこかにはいるのだろう。
私の書いたものはただ文字の羅列で、その人を獲って食ったりしない。それでも、今まさに自分は獲って食われているんじゃないか、という気分になることもあるだろうな。私がときにそう感じるように。