深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

理想の自殺法

注意:本人にはそのつもりはないが、グロ系苦手の人は読まないほうがいいかもしれません。



今度は今から20年以上前のこと。
当時、ご多分に漏れず、そこそこ精神的に不安定な中高生時代を過ごしていた。端から見れば大したことないようなことをやたら重大な人生の問題のように感じたり、別にそんな予定も苦境もないのに「自分が自殺したらどうなるんだろうなあ」などと考えたりしていた。
私は当時から法医学やらミステリーやらが好きで、ヒトの生物的な死に興味があっていろいろ本を読んだりしていたので、おそらく平均的な中高生よりはそのへんの医学的・生物学的知識はあっただろうと思う。
そんな中で、自分なりに理想的な自殺方法を追求してみよう、ということで、考えたのが、こんな感じのことであった。

  1. 死体はすぐ発見できること
  2. 後片づけが楽なこと
  3. 他人を巻き込まないこと
  4. 死体の損壊程度が少ないこと
  5. 自殺者の身体的苦しみが少ないこと
  6. 遺書を残すこと

1.は、行方不明扱いになり、残された近親者や親しい者が何年後までも「いまもどこかで生きているかも」と引きずらないように、という意味と、警察への届け出や捜索などの手間をかけさせないことが目的。立つ鳥跡を濁さず。だから樹海に入るとか海に身投げするとかは×。
2.は、自分が死にたいという勝手な目的のために、他人にいらん苦労をかけないように、ということ。鉄道自殺やら自動車に飛び込むなどは×。焼身も微妙。
3.は、当然といえば当然か。プロパンガス自殺や人混みでの高所からの飛び降りなどは×。
4.は、検死してなんとかつなぎ合わせて形を整える側の身にもなれ、という話。焼身のように本人の判定が難しいのも大変である。とりあえずぱっと見て、誰だかだいたいわかるくらいではあってほしいと。
5.は本人事情。どうせなら苦しくないほうがいいよね。
6.は、これも近親者に悩ませず、警察に余計な捜査の苦労をかけないため。


こんなことを考えていたので、どの方法も一長一短で、結局自殺なんてするもんじゃないなと思った。一番よさそうなのは、アルコールと眠剤をしこたま飲んで川原で寝こんで凍死、というやつだなと思ったが、確実性に欠ける。
で、そんなふうにぐだぐだ思えるうちは大丈夫なんだろうと思った。
そんな10代だった。