深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

くたびれる

ネットでいろいろな文章を読むのは好きなのだけど、やはり時々くたびれる。
本を読むのと違い、短時間のうちにさまざまな異なる立場の意見や感覚を大量に読んでしまうので、その多様性についていけなくなる。人間の脳髄の限界か。いや、私の限界なんだろうけど。
直接の感覚で感じるものには安心感がある。それは、そういった直接に感じる感覚は、一度に流入してくる情報量に必ず限界があるので、感覚器自体が律速段階になって、受け取る側のオーバーフローを自然に防いでくれているからなのだろう。人間は網膜に映ったもののごく一部しか「見て」いない。鼓膜を揺らした音声のごく一部しか「聞いて」いない。
なんのことはない、人間は頭に入ってきた文章のうちごく一部しか「読んで」いなくて、さらにそのうちのごく一部しか「理解して」いなくて、さらにそのうちのわずか一部しか「受け入れて」いないのかもしれないな。
それでちょうどいいのかもしれない。いい加減に鈍感に。自分自身が意識的にボトルネックになるくらいで。