深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

「敵」を倒すのか、「敵」に倒されるのか

褒め褒めコミュニケーションとファックコミュニケーションの話題、最近興味があって読んでいるんだが、こちらを読んでちょっとぴぴっときたので、半分メモとして。
ファックコミュニケーションが男性コミュで主流な理由とか - pal-9999の日記

褒め褒めコミュニケーションは、「友達沢山つくる」「敵を減らす」のに優れた方法ですが、一方で「良い友達と悪い友達」の区別がつきにくいシステムでもあります。

敵味方の峻別がつきにくいんですね。ファックコミュニケーションに比べて。

これは、女性コミュの中で、「友達沢山つくる」「敵を減らす」事が、「信頼できる友人のみと付き合う」よりも、利得が多かったことを意味しているわけですが。

理 由 が わ か ら な い

ファックコミュニケーションが男性コミュで主流な理由とか - pal-9999の日記

これに対して、http://d.hatena.ne.jp/quiznos/20070528/1180353145

理由は簡単だと思います。敵と味方を見分ける必要なんかないのです。表面上だけでもいいので、穏やかに問題なくすごすことこそが目的なのです。女性は暴力を好みません。声を荒げたり対立するのも好みません。大きな物音や乱暴な所作も嫌いです。ですから和やかで争いがないことが第一なのです。気に入らないときには影に隠れて悪口をいい、面と向かって不平は言わないし、嫌いな相手にもニコニコしてみせたりするのです。

http://d.hatena.ne.jp/quiznos/20070528/1180353145


というところで、ああ、そうかと思った。
「敵」とはつまり、その人にとってどんな存在なのだろう、ということだ。すごくおおざっぱに表現してしまえば、
男性にとっては、「敵」は自分が倒しにいく、倒すことができる相手。
女性にとっては、「敵」は自分を倒しにくる、自分が倒される相手。
そういうことなんじゃないだろうかと。
そう考えると、男性が「敵」をつくる、あるいは誰かと「敵」同士であることに無頓着な一方、女性は最初から慎重に「敵」を作らないように行動する、ということについて、納得がいく。


以下、私個人の感覚であることを先にお断りしておく。
女性からみると、男性は絶対勝てない究極の相手だ。
女性同士なら、まだ、もしやり合うことになったとしても、自分が勝てる可能性がある。しかし、男性相手には、最終的に殴られ腕を捕まれ自由を奪われたら、終わりだ。平均的な女は素手で男を倒せない。しかし、平均的な男は女を素手で倒せる。
当然それぞれの個人差はある。しかし、やはり大多数の場合、女性は腕っぷしについては男性に劣るだろう。


もちろん、いつもそんなことを考えながら生活しているわけではない。そんなことにはならないだろう、と自然に信頼している男性は、身内や友人知人をはじめとしてたくさんいる。
しかし、腕っぷしでは勝てない、という無意識のうちに沈降した意識はあり、そこから「敵はつくりたくない」「敵をつくるべきじゃない」という思いが生まれてきて、行動に適用されているんじゃないかと、そんな気がするのだ。それは男性相手だけでなく、当然女性相手にも適用される。


明らかに「敵」じゃない人間を峻別して周囲におくのか、明らかに「敵」である人間を峻別して遠ざける、もしくは「敵」でない人間化するのか。実際の場面では、「敵」でもなく「味方」でもない人間と接することが圧倒的に多い。そういうボーダーライン上の人間を自分からどう位置づけるか。そんな手法の違いなのかもしれない。