深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

自分を語りたがらない人々


自分にまつわる情報を極力出したくない人、と言い換えることもできるか。


ネットで長年活動していると、こういう人たちがいることに気づく。
実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。
古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分の食べたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。
他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避している。


そういう人がつきあいにくいわけでもない。チャットやメールで話していれば楽しいし、レスポンスが悪いわけでもない。
表でそういうことを言うと余計なトラブルになる、と思っているわけでもなさそうだ。彼らはたいてい、どちらかというと気が強く、ネットリテラシーもわりと高い。変な絡まれ方をしても相手を叩きのめすか、またはスルーするくらいのことは余裕でできると思う。
たぶん、そういう自分の中の心理、思想、論、人格というものを出せる、あるいはわざわざ出そうと思える範囲が狭いだけなのだろう。おそらく、相当親しくならなければ出さない。家族や配偶者レベルでも出さないかもしれない。


それはそれでいいのだが、こういうタイプの人は、自分からあまり、あるいはほとんど発信をしないので、現在のような断片化したネット環境だと、だんだんと距離が離れていく。
以前は、どんな場でもなんとなくROM(read only member)がいることが暗黙の了解だったが、最近のネット環境だと、ブログ・日記にしろ、SNSにしろ、2chのような掲示板にしろ、twitterのようなミニブログにしろ、発信(発言)しない=いないも同然、という感触になっている。
自分を語りたがらない人にも面白い人はたくさんいるのだけど、現在のネット環境では、そういう人が新たに居場所を見つけるのは難しいのかもしれないし、そういう人と出会うことも難しい。


【追記】(2007.5.13)
以下の記事に追記を書きました。
「自分を語りたがらない人々」追記 - 深く考えないで捨てるように書く