深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

6歳の少女の日記

友人の娘さん、この春から小学校1年生になったばかりなんだが、すでに日記をつけているのだという。
もともと文字を覚えて書き始めるのが早い子でもあったし、母親(友人)もライターをやっていて、文章を書くことに興味をもちやすい、というのもあったのだろう。


まあ、今どき、幼稚園・保育園でも文字を書ける子はそう珍しくはない。早いうちからテレビや絵本など、あちこちで文字を目にするので、わざわざ文字を教えようとするまでもなく、文字に興味をもち、子ども特有の吸収力であっと言う間に読めるようになる。ちょっと遊び感覚で書き方を教えてやると、面白がって書き出す。手指の運動能力が整うまでは上手くはならないから真似してお絵描きの範疇を越えないが、個人差はあるものの、年中から年長くらいになると、十分手の協調運動も上手くなり、思うように字が書けるようになってくるようだ。
うちの上の娘(年長)も、年中くらいからは面白がって、幼稚園の友達と手紙のやりとりをしていた。うちの娘もけっこう上手に書けてるなと思うが、もらってくる他の友達の字を見ても、かなりしっかりした字と内容を書いてくる。ちゃんと文意の通じる文章になっている。


だから、友人の娘さんが文章を書けること自体はそれほど驚かなかった。*1
何に驚いたかというと、それが日記であるいうことであった。
他人に伝えたり読ませたりするためではなく、自分自身のために、自分の思ったことを表現して書き留めるためにものを書く、という行為。それを、6歳やそこらの子どもがやっている。
友人がその日記の書いてあるメモ帳を見つけたのは、たまたま掃除をしていて拾ったものだったそうだ。ということは、娘さんは自主的に思いついて、書き始めたということだろう。
自分の思いを言葉にして、書いて外に出す。誰も読まないかもしれないけど、ただ書く。そんなことを経験した少女。気持ちよかったのかな。すーっとしたのかな。そもそも、どうして日記を書こうと思いついたのかな。


ブログは、日記と手紙の中間みたいなところがあって、そっと書き置いて、誰か読んでもいいし読まなくてもいいよ、みたいなところがある。誰にも読まれたくないならローカルやプライベートで書けばいいのだが、そうはしない。積極的に読んでほしいならそれなりの内容を書いてそれなりにPRしなくちゃならないが、そういうわけでもない。
6歳の日記みたいな。一生懸命誰かに読ませよう、という意図はないけれど、絶対読まれたくない、ということもなくて、だからぽそっとそのへんにノートを置いておく。
そういうものを書こうという気持ちは、意外と後付けではなく、性格とか生まれながらにしてあるものなのかもしれない、ブログ向きの性格とか。と、このエピソードを聞いて思ったのだった。


そうして自分の娘を見てみると、上の娘は日記は書かない型だと思われる。どう考えても、読まれて・読ませてナンボの性格である。どっちかというと掲示板・メール型。
下の娘はまだ字はほとんど書けないが、こちらは日記を書くようになるかもしれない。ひとりでごちょごちょ何かするのが好きなタイプだ。どうなるかな。書くかなー。

*1:その内容はけっこう大人びた感性のものだったので、そのことには正直驚いたが、ここでは触れない。