深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

では誰も結婚しないかというと

http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070505/p1
面白い記事であった。特に末尾部分、

もちろんこういうライフスタイルが可能になったのも、家事の機械化が進み、全般的に外注化が進んだ結果であって、半世紀前であればなかなかこうはいかない。

それだけ結婚をすることによって生じるメリットがかつてはあったということだけど、今は相対的にメリットは減少している。

子供でも出来ないことには、なかなか結婚には踏み切れないのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070505/p1

私を家政婦としか考えていないのかと女が怒るのはそれはそれでもっともだけど、じゃあ、家政婦としての存在意義をなくした時に、自分が相手にとってどれだけのものを提供できるのか、を考えるとそちらのほうがなかなか大変なような気もするけどね。

http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070505/p1

現実に、もうこうなっている。性別を逆にすれば、「俺を財布としか考えていないのかと男が怒るのはそれはそれでもっともだけど、じゃあ、お金稼ぎとしての存在意義をなくした時に、自分が相手にとってどれだけのものを提供できるのか、を考えるとそちらのほうがなかなか大変なような気もするけどね。」というところか。


女性も稼ぐようになり、男性も家事を行うようになって、役割分担によって家庭を維持する、という意味合いはかなり減った。子どもも特にいらないとなれば、結婚する意義ってなんだろう、ということに当然なる。
それでも、結婚に対する憧れや幻想が世の中から全くなくなっているわけではない。自分で十分に食い扶持を稼いでいる女性も、独り暮らしで家事を鍛えて生活にもなんら困らない男性も、結婚なんてわずらわしいだけだと思う人も少なからずいるのだけど、やはり結婚したいなぁと思っている人もまた少ないわけではないのだ。その間にいて、まあ何がなんでもとは思わないけどチャンスがあれば結婚はしたいかな、くらいの人ならやはりもっといるわけで。
そのモチベーションの元は愛情か、というと、そうではない気がする。愛情は相手があってこそ存在するものだが、特別具体的な交際相手がいない状況でも、結婚について上記のように考えることは普通にあるからだ。


たぶん、結婚相手に提供できるものは、突き詰めれば「自分」という存在そのもの、一人の人間そのものなのだと考えるしかないし、実際そうなんだろうと思う。
家政婦あるいは生活費稼ぎという役割でもなく、性的パートナーという役割でもなく、自分の子どもを得るための父親・母親役でもなく。そのように結婚相手(夫・妻)の意味を細分化し、断片化してしまうこと自体が、少なくとも現代の結婚という制度に馴染まない。細分化してしまえば、それはすべて結婚相手である必然性がなくなってしまうことは明白で、だから結婚という制度自体が無意味だ、という結論に至るしかない。
しかし、今現に結婚している自分の感覚からいうと、これはこれで自然にフィットする感覚で、これを細分化した役割(とそれを実行する人々の)群と違和感なく置換することが可能だとは思えない。その根源が愛情なのでは、と言われると、それも厳密な意味では違うように思う。もちろん愛情もあるのだが、それだけではない。


今のところ、ここまでしか自分では言語化できていない。
ただ、なんとなく思うのは、現在の制度・形態での「結婚」はやがて消えていくことがあるとしても、異性のパートナーを(複数である場合も含め)その他の異性と区別して選び、なんらかの特別な関係として規定する、という、いわば形を変えた「結婚」は、子どもの有無を別としても、結局存在し続けていくのだろう、ということだ。
共産主義が一見平等な天国のように見えたのに、結局十分な成功はしなかったように、家庭を完全に解体して全くプレーンな生殖・生活・育種行動が社会全体で行われることはおそらく(少なくともある程度自由な社会の下では)成功しないし、それにヒトは追随していけないと思う。そうである以上、最低単位としての「結婚」は残っていくのではないかと。