深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

お菓子の家、言葉の城

ブログって、お菓子の家みたいだと思う。
そこに人がいるように見えたり、なにか立派な事実がそこにあるように見えたりするけど、実は言葉の集合体にすぎない。
言葉をたくさん集めて、人のようなものを作ったり、感情のようなものを作ったり、理論のようなものを作ったり、事実のようなものを作ったりしている。
お菓子をたくさん集めて、家のようなものを作っている、そんな感じ。


お菓子の家は、結局はお菓子であって、家としては機能しない。雨が降れば湿気て崩れ、暑くなれば溶ける。
ブログを読んで、そこにその人がいるような気になっても、結局はその人が書いた言葉がそこにあるだけで、その言葉がその人の真実とは限らない。
誰かが何かを憎むようなことを書く、でもその人が本当にそれを憎んでいるとは限らない。
誰かが何かを愛するようなことを書く、でもその人が本当にそれを愛しているとは限らない。
誰かが何かを解っているようなことを書く、でもその人が本当にそれを解っているとは限らない。


そんなこと当たり前。ブログでなくても、普通に直接言葉を交わしていても、同じこと。
けれど、ブログで見るお菓子の家は、まるで堅牢な普通の家のように見える。
そこに家があってほしい、家にたどりつきたい、と、求めながら森を彷徨っているからなのか。


お菓子の家は堅牢でなくてもいい。
ただ見ているだけなら、十分に家の形として機能を果たしている。